藤村と背広

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藤村といえば、島崎藤村でしょうね。『若菜集』はよく知られているところです。
島崎藤村がパリに行くのは、大正ニ年のこと。今から103年前のこと。島崎藤村、四十二歳の時。
まず、新橋から列車に乗って。それから、神戸に着いて。神戸港からは、船で。1913年の新橋駅にはたくさんの見送りがあったそうです。
島崎藤村は何を着ていたのか。三越でそのために誂えた、紺の背広に、グレイのソフト帽。三月二十五日のことですから、「春外套」。春外套の色もグレイの霜降りで、わざと端を縫いっぱなしにしてあって、それが粋に見えたという。
神戸港で乗ったのがフランス船籍の「エルネスト・シモン号」。この船に日本人客は、島崎藤村ひとりだったそうです。
四月十三日。夜の十一時に、出航。マルセイユの港に着いたのが、5月20日のことです。マルセイユに着いた島崎藤村は、どうしたのか。「デパアトメント・ストア」に行くんですね。背広を買いに。

「カステル君が求めようとしたのは商品陳列館の『出来』で置並べてあるような、極地味な背廣の服であった。」

島崎藤村著『エトランゼエ』には、そんなふうに出ています。文中の「カステル君」は、船内で知りあった若い医者。これから故郷のブルターニュに帰ろうとしているところ。「出来」は既製服のことでしょう。ここから服の話になって、「なぜもっと新しい感覚の背広を選ばないのか……」と、いぶかしがっています。
それはともかく、今から103年前に、マルセイユのデパートに島崎藤村が立ち寄ったのは間違いありませんね。
なにか新しい感覚の背広を着て。藤村の本を探しに行くとしましょうか。

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