シェリーは美味しいものですよね。第一、壜の蓋を開けて、グラスに注げば、もうそれだけで、飲める。
保管の温度だとか、オリだとか、ブーケだとか………。とにかくめんどうなく、愉しむことができるものです。
ごくふつうのイギリスの家庭でシェリーを置いていない家は少ないのではないでしょうか。イギリス人がシェリーを飲むのは、それこそ日常茶飯のことなんです。
「戦後のイギリス国民の酒は、自国産のジンとスペインのシェリーということになっている。」
キングズレー・エイミス著『酒について』には、そのように出ています。いや、著者のキングズレー・エイミスがそう言っているわけではないのですが。『酒について』は、名著。原書は、『オン・ドリンク』。これを日本語に訳したのが、吉行淳之介。
吉行淳之介は『酒について』を訳す時に、欄外に随筆風の注を入れた。この注がなんとも、すこぶる………。もちろん、本文も面白いこと言うまでもありませんが。
著者のキングズレー・エイミスも、訳者の吉行淳之介もともに、1922年のお生まれ。その吉行淳之介は、英国人のジョン・ベスターに訊いた。「戦後のイギリス人は主に何を飲んだのか?」と。それに対する答えが、「ジンとシェリー」だったのです。ビールもワインもウイスキーもあった。でも、それらは値段が高くなりすぎていたので。
吉行淳之介はどうして、ジョン・ベスターに訊いたのか。吉行淳之介には『暗室』という小説があって。これを英語に訳したのが、ジョン・ベスターだったのです。
では、アメリカでのシェリーはどうなのか。これは庄野潤三の『シェリー酒と楓の葉』に詳しく出ています。
「エディノワラさんが夕食を済ませた私たちのところへシェリーを飲みに来ないかと誘いに来て………」。
これは庄野潤三が、昭和三十二年に、アメリカのオハイオ州で暮らした時の様子なのです。『シェリー酒と楓の葉』には、何度かシェリーの話が出てきます。また、こんな描写も。
「この前、主人が勧めたヴァン・ヒューゼンを買いたかったが、仕方なしにほかの店へ行く。」
それで結局、「アロウで四ドル。」ということになったようです。「ヴァン・ヒューゼン」も、「アロウ」も、今では懐かしい名前になってしまいましたが。