フレッドはわりあい多い名前ですよね。どうしてフレッドが多いかと言いますと。フレッドは、アルフレッドの愛称でもあり、フレドリックの省略でもあるからなんだそうです。
たとえば、フレッド・アーチャー。十九世紀、英國の名騎手。フレッド・ジェイムズ・アーチャー。1868年、12歳で、騎手デヴュー。その頃のフレッドの体重30㎏ほどであったという。それで、というわけではありませんが、連戦連戦。
アメリカにももちろん、フレッドはいます。誰もが知るフレッドなら、フレッド・アステア。お父さんの名前も、フレドリック・アステア。その意味では、「フレッド・アステアJr」 でもあったことになります。
少しでもダンスを知ってる人なら、「アステアは天才だからね」ということになっています。
アステアの得意藝に、傘があります。アステアが踊りながら、持っている傘を細く巻いて、部屋の隅の傘立てに投げると、美事に刺さる。このシーンだけを見ると、「やはり天才技」と思ってしまいます。
あの「傘投げ」の場面。アステアは練習中に、45回失敗した。傘立てに当たるものの、うまく中には入ってくれない。その時、アステアはどうしたか。アステアは、こう考えた。
「よおし、明日の朝いちばん、きっと決めてやるぞ。」
そして、次の日のいちばんで、アステアの投げた傘は美事に傘立てに。
あの天才と謳われるアステアでさえ、45回の試行錯誤があったわけですね。2回や3回であきらめる私は、鈍才なのでしょう。
フレッドが出てくるミステリに、『血兄弟』があります。クリスチアナ・ブランドが、1968年に発表した物語。
「フレッドはそれもちゃんと計算にいれていた。ふたりはもともと靴のサイズも同じだし…………………。」
英国の、クリスチアナ・ブランドが同じ年に発表した短篇に、『ジャケット』が。この中に。
「確かにはでな茶褐色のなめし皮だが、裏にはむくむくした羊の毛皮が使ってあり………………。」
これはジェラルドという男が新しく手に入れた上着を、マダムが眺めている場面。これは要するに、フライト・ジャケットなんですね。
第二次大戦中の、イギリス空軍でも採用されたものです。飛行士の着る上着なので、「フライト・ジャケット」。多くはムートンの一枚革ですから、実に暖かい。
さて、フライト・ジャケットを羽織って、アステアのレコードを探しに行くとしましょうか。