小倉と鞐

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小倉は、生地の名前ですよね。むかしは、小倉の学生服がありました。夏服として。それはグレイの霜降りでしたが。
小倉はもちろん、「こくら」と訓みます。古くから九州の小倉で織られたところから、「小倉」の名前で呼ばれたものです。小倉が出てくる小説に、『高野聖』があります。泉 鏡花の代表作ともいえるものでしょう。

「千筋の單衣に小倉の帶、當節は時計を挾んで居ります…………………。」

これは薬売りの衣裳の説明。
泉 鏡花がある時、小説の原稿に、「紋着」と書いた、むろん、「紋附」のことを。と、校正係が、「紋附」と直した。これに対して、鏡花は。

「だが女が紋つきを着てほつそり立つた時を考えて御らんなさい、紋附が似合いますか………………。」

ある談話の中で、そんなふうに語っています。
泉 鏡花は十九歳で、紅葉の弟子に。紅葉は鏡花に、
「明日から、来い」
そう言ってつけてくれた名前が、「鏡花」だったと、これまた談話の中で話しています。
小倉が出てくる随筆に、『三省録』があります。文久三年に、徳齋原義が書いた読物。

「岡山烈公つねに小倉織の袴をめさせ給ひ………………。」

この『三省録』には鞐の話も。

「またくつたびの跡をこはぜがけにすることは、予が父大坂に在しとき、ふとこしらえさせてより、其足袋屋の作るやうに云なし………………。」

これは、『八水随筆』からの引用文。たぶん、ある洒落者の工夫から足袋の鞐が流行ることになったのでしょう。それ以前には、紐で結んで足袋を履いたものです。
時には足袋を履いて、小倉を旅してみたいものですね。

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