レオナルドとレインコオト

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レオナルドで、藝術家でといえば、レオナルド・ダヴィンチでしょうか。
レオナルド・ダヴィンチは、1452年4月15日、午前三時に生まれています。でも、どうしてレオナルドが生まれた時間までが分かっているのか。レオナルドのおじいちゃんが記録をつけていたから。
レオナルドのお父さんは、セル・ピエロ。そのお父さんは、アントニオ。アントニオは、1452年には八十歳くらいで、孫の生まれることを、期待していたのでしょう。
レオナルドのお母さんの名前は、カテリーナだったと伝えられています。ただ、セル・ピエロとカテリーナは身分の違いによって、結婚が叶わなかったそうですが。
ダヴィンチは、イタリア、フィレンツェに近い、ヴィンチ村から来ています。ヴィンチ村のレオナルドという意味。ですから、ほんとうは、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」と呼ぶのが正しいのでしょう。
レオナルド・ダ・ヴィンチは若い頃、美男子だったと、考えられています。
レオナルドの師匠でもあった人物に、ヴェルロッキオなる人物がいて。1473年頃、銅像『ダビデ』を完成させているのですが。これは弟子のレオナルドをモデルに作成されたのだろう、と。従って、二十二歳ころのレオナルドは、ハンサムだったと想像されています。

「レオナルド、ダ、ヴィンチは門下生に寺院の壁のしみを寫せと教へたことがあるさうだ。」

夏目漱石著『吾輩は猫である』に、そのような一節が出てきます。漱石もまた、レオナルド・ダ・ヴィンチには、興味を持っていたことが分かるでしょう。
夏目漱石が、明治四十五年に発表した『彼岸過迄』にレインコオトの話が出てきます。

「高木は雨外套の下に、直に半袖の薄い襯衣を着て………………………」。

「雨外套」の脇に、「レインコート」のルビがふってあります。ところが、この少し先に。

「高木が、是ぢや暑くつて堪らない、御免蒙つて雨防衣を脱がうと云ひ出した。」

この「雨防衣」の横にも同じく「レインコート」のルビが。同じ場面の、同じ「高木」レインコオトであるのは、いうまでもありません。
つまり漱石は「レインコート」に対して、「雨外套」と、「雨防衣」との、ふたつの宛字を用意していたのでしょう。
好みのレインコオトを羽織って。レオナルド・ダ・ヴィンチの画集を探しに行くとしましょうか。

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