カクテルは、混合酒のことですよね。とりあえず、何の酒と何かの酒とを混ぜますと、カクテルになる仕掛けになっています。
カクテルは酒ではありますが。ファッションとも関係がないわけではなくて。たとえば、
「カクテル・ドレス」。もちろん、カクテル・パーティーにふさわしいドレスの意味ですよね。つまり、イヴニング・ドレスまではいかないくらいの、セミ・フォーマルウェアというわけです。
「コーヒーと菓子かと思ったら、立派なカクテル・パーティだったので少し面喰う。」
大岡昇平の随筆『パリ日記』には、そのように出ています。
1976年5月6日。パリでのパーティーの様子を、大岡昇平はそのように記しているのですが。こんな時にこそ、カクテル・ドレスがぴったりなのでしょう。
カクテルを飲むためのグラスが、「カクテル・グラス」。カクテル・グラスが出てくる戯曲に、『卒塔婆小町』があります。昭和二十七年に、三島由紀夫が発表した物語。
「給仕二人、カクテル・グラスをあまたのせたる銀盆と肴あまたのせたる銀盆とを捧げて登場。」
ト書きに、そのように出ています。
また、『卒塔婆小町』には、こんな科白も出てきます。
「われわれ男のもちものだつて、第一総理が今晩着てこられたフロックコートも、ロンドン仕立だからな。ジェントルマンの身だしなみは、すべてイギリスが本家だからな。」
「男B」の科白として、三島由紀夫はそのように語らせています。
その昔。三島由紀夫と石原慎太郎が会った時。
「男の美徳は何か?」という問題になって。では、二人で同時に紙に書いて、見せようということに。三島由紀夫と石原慎太郎はそれぞれに書いて、見せた。そこには、同じように。
「自己犠牲」
と、あったという。男の美徳は、自己犠牲。
では、女の美徳は何なのか。このことと関係があるのかないのか。三島由紀夫は、昭和三十二年に、『美徳のよろめき』を書いています。
その前、昭和三十一年には『永すぎた春』。これも、たちまち流行語に。でも、それ以上の流行語になったのが、「よろめき」だったのであります。
『美徳のよろめき』の中に。
「………彼は仕立のよい服に身を包んでゐたが、アレキサンドリヤ石のカフス釦をつけたカフスからあらはれてゐる手の甲の毛が……………………。」
これは「土屋」という男の着こなしについての描写。
アレキサンドリヤ石であるか否かはさておき。カフ・リンクスの両面が相似形であるような、本物の釦を作って頂けませんでしょうか。