上品とショート・フロック

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上品は、下品でないことですよね。なにごとにおいても上品でありたいとは願うものの、実際には下品下品になってしまうのが、私であります。哀しいことです。自分では上品だと信じこんでいて。他人から見ると下品の極み。情けないことであります。
「上品」は、もともと仏教の言葉から来ているんだそうですね。
ものごとにはすべて、上品と中品と、下品とがあるとの考え方。
ただし仏教のほうでは上品と書いて、「じょうぼん」と訓みます。同じように中品は、「ちゅうぼん」。下品は、「げぼん」となるんだそうですね。
なるほど。と、ここで納まっていてはいけないので。それぞれの下に、「上生」が。また、「中生」と「下生」とが。
つまり上品に、上生と中生と下生があるとされる。同じように、中品と下品にも、この三つの位が。これをぜんぶまとめますと。九位、九品。
ですからこれを「九品」というのであります。日本の至るところに、「九品仏」だとか「九品寺」があるのは、そのためなのですね。人間の「品」の位には九つの段階があるのですよ、と。
上品が出てくる小説に、『當世書生氣質』があります。坪内逍遙が、明治十八年に発表した物語。

「頗る上品なる衣服を着して。遊バせ言葉を吐くいへども。…………………。」

この時代の坪内逍遙は「。」を、「、」の代りに使っているのですが。また、『當世書生氣質』には、こんな文章も。

「平生身に纏ひて意氣がる族ハ。蓋し装服の何物たるをバ。未だ通知せざる野暮天とやいはまし。」

と、はじまって、逍遙は延々と服装論を語っています。もっとも逍遙は、「装服」と書いています。今の服装のことかと思われます。
ただし、これは明治十八年のこと。現代のみなさんが「装服」に、深く通じているのは、申すまでもないでしょう。
では、逍遙自身はどんな「装服」だったのか。
明治二十三年に、描かれて絵が遺っています。逍遙、三十一歳頃のこと。
黒の、ショート・フロックを美事に着こなしています。シングル前で。左右の指をしっかり伸ばしたくらいの上着丈。
いいなあ、ショート・フロックも。でも、私がショート・フロックを着たなら、「九品」の、どのくらいになるのでしょうか。

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