阿波とアクセサリイ

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阿波は、今の徳島のことですよね。阿波踊りはあまりにも有名でしょう。
阿波はまた、かの薩摩治郎八、終焉の地でもあります。
昭和五十一年二月二十二日、永眠。波瀾万丈の人生を閉じています。享年、七十四歳。
薩摩治郎八は、昭和三十四年に、阿波に。阿波は、妻利子の実家のある所。それで、
阿波踊り見物に。同じ年の八月二十四日に、倒れて。以降は、徳島市東吉野町に住むことに。
昭和四十年には、藤原義江が、阿波の薩摩治郎八を訪づれています。

眉の如く 雲居にみゆる阿波の山 かけて漕ぐ舟 泊まりも知らず

『萬葉集』にもそのように出ていますから、阿波の地名も古いのでしょうね。
阿波でおしゃれでといえば、「阿波縮」があります。また、「阿波しじら」とも呼ばれる木綿の生地です。
「阿波しじら」は、江戸、寛政年間に、阿波ではじまったと、伝えられています。
阿波しじらをはじめたのは、海部ハナであったという。海部ハナは、天保二年、今の那賀川町の生まれ。
二十五で、阿波の、海部勝蔵に嫁ぐ。
ある時、海部ハナは、織った後、熱湯をかけて、天日に干すと、規則的な皺の出ることを、発見。こうして現在の阿波しじらが誕生したという。
阿波を旅した作家に、円地文子がいます。

「この静かな市街全体が盆踊りのときにh、名物の阿波踊りに町中が踊り狂い、知事も裁判官も総出で一晩踊りあかすという……………………。」

円地文子著の随筆『讃岐から阿波へ』の中に、そのように書いています。
その円地文子が、アメリカを訪問したのが、昭和三十三年。
円地文子は、「メトロポリタン美術館」に案内されて、古代エジプトの所蔵品を見学しています。その時に感想。

「ミイラや棺に沢山お眼にかかりましたが、装身具 ( ネックレースやイヤリング、ブレスレット、足輪、化粧箱、鏡など ) のそれぞれ素晴らしく美しいものをみると、アクセッサリーなどというものは四、五千年前から一向進化しないものだと思いました。」

いやはや、なんとか進化したいものではありますが。
どなたか古代エジプトに負けないくらいの、カフ・リンクスを作って頂けませんでしょうか。

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