タイヤーとタフタ

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タイヤーは、古代フェニキアの地名です。「テュロス」Tyros と言った方が分かりやすいかも知れませんが。テュロスはまた、「トゥール」Tsur
とも呼ばれた町です。これを英語式に訓むと「タイヤー」にもなるわけです。
まことに地名はややこしい。ことに古代の地名は。
フェニキアのテュロスが栄えたのは、紀元前八世紀頃のこと。場所は今のレバノン辺りです。現代名は「スール」。
フェニキアはなぜ繁栄したのか。交易によって。農耕でも狩猟でも戦争でもなく。フェニキア人は戦争好きの人びとではなかったから。
その代わりに、ガレー船を巧みに操った。主に、三層のガレー船を。船の三段に漕ぎ手が座って、櫂で船を漕いだ。
それとは別に長方形の帆もあって、風のある日は、帆船としても進んでくれたのです。
古代フェニキア人はほぼ世界一周しただろうと、考えられています。Aの国で仕入れた品物をBの国へ行って売ったりもしたようです。
この交易と関係があるのかどうか、古代のアルファベットを考案したのは、フェニキア人だと考えられています。
また、今日のガラスの源はフェニキアにはじまっているんだそうです。
私たちに関係のあるところでは、紫。「テュロスの紫」。これは天然自然の紫の染料。
テュロス沖の小島に棲む貝が吐き出す液体。これを集めて染めると、美しい紫になったという。ただし、あまりにも高価な染料なので、古代ロオマでは皇帝に限って着ることが許されたと、伝えられています。
フェニキアの男たちは、皆、ロング・ヘアを好んだ。また、髭を蓄えることをも、好んだ。長いテュニックを着て、腰には帯を結んだ。また、色とりどりのヘア・バンドもフェニキア人を表す装飾品だったと、考えられています。

テュロスが出てくる小説に、『ケルニワースの城』があります。1821年に、英国のウォルター・スコットが発表した物語。

「………タイヤーやシドンの虚栄女たちのように首に石を飾ったりしたいとは思いませぬ。」

これは「ジャネット」の科白として。ここに「タイヤー」とあるのが、テュロスのことなのです。
スコットの『ケルニワースの城』には、こんな描写も出てきます。

「裏は古代紫の琥珀織り、金銀の幅広の二本のレースでへりがかがってあるという奴。」

これはある人物の衣裳の絢爛たる様子を延々と説明している場面。「琥珀織り」は、何度も出てきます。
琥珀織り。「タフタ」taffeta
は、絹織物。タフタは1355年頃から用いられている英語。ペルシア語の「タフタ」tāftahから来ているらしい。その意味は、「織る」であったという。
どなたかタフタのスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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