阿吽は、狛犬のことですよね。神社の入口などに、左右一対の形で並んでいます。
「阿吽の呼吸」。そんな言い方もあるようですが。一方の狛犬は口を開き、もう一方の狛犬は口を閉じています。それで、阿吽。
「阿」はものごとのはじまり。「うん」はものごとのおしまいの意味。つまり、世界のすべてを表しているんだとか。
この阿吽を題に小説を書いたのが、向田邦子。『あ・うん』がそれであります。昭和五十五年、『別冊文藝春秋』三月号に発表された物語。向田邦子の『あ・うん』はこんなふうにはじまります。
「三つ揃いはついこの間銀座の英國屋から届いたものだし、ネクタイも光る石の入ったカフス釦も、この日のために吟味したものだった。』
これは門倉修造が、久しぶりに会う親友の、水田仙吉のために、風呂を沸かしている場面。
門倉修造は四十三で、ある会社の社長という設定になっています。
余談ではありますが、『あ・うん』の装丁も凝っていて。題字も絵も含めて、中川一政。
「夢は見るもんだなと、五十を過ぎた今、思っている。叶わぬ夢も多いが、叶う夢もあるわけである。」
向田邦子は『あ・うん』のあとがきに、そのように書いてあります。中川一政に、表紙の絵と文字とが頂けたことを。
向田邦子にとっての中川一政は、神様の次に偉いお方だったので。
「もう一つ蛇足を加えれば、上質のユーモア小説でもある。」
随筆家、江國 滋は、『あ・うん』をそのように評しています。『向田邦子を読む』と題する随筆の中に。どうして、「もう一つ」なのか。
すでに山口 瞳が向田邦子を褒め讃えているので。
「恋愛小説として、友情小説として、ほとんど完璧」だと。
向田邦子を絶賛したお方に、山本夏彦がいます。山本夏彦は『名人』と題する随筆の中に。
「向田邦子は突然あらわれて、ほとんど名人である。」
この山本夏彦の文章を読んだひとりが、久世光彦。久世光彦は、どんなふうに思ったのか。
「私なら、こんなふうに言われたなら、嬉しさのあまり死んでしまったことだろう。」
久世光彦著『向田邦子との二十年』に、そのように書いてあります。
『あ・うん』がTVドラマ化されたのが、昭和五十一年。同じ年に向田邦子は「直木賞」を得ています。
この直木賞については、山口 瞳も熱心な推薦者だったと伝えられているのですが。
「向田邦子の受賞祝に、『フジヤマツムラ』で、イタリーのアボンという会社のスポーツシャツを買つた。」
山口 瞳は『男性自身』の中に、そのように書いてあります。
当時の「フジヤマツムラ」は銀座にあって、0の数が少し違うのではないかと思える高級店でありました。
野坂昭如はよほど酔っ払っていないかぎり、「フジヤマツムラ」には、入らなかったという。
「アヴォン」Avon は、イタリアのニット・めいかー。ハイ・ゲージ(細番手)を扱うのが、得意で、絹でもあるかのように思えたものです。
この「アヴォン」に惚れぬいたのが、桃田有三。数年がかりの根気よい交渉の末、日本への輸入に成功。
「生産量が少なく、輸出にまで手がまわらない」
それがアヴォン側の断り文句だったそうですが。
アヴォンは今もあるメイカーです。が、1960年代の方向とは少し違っているようですが。
どなたか1960年代のアヴォンは復元して頂けませんでしょうか。