ひとりぼっちは、ひとりきりのことですよね。
「ひとり」を強調した表現なのでしょうか。
また、「ひとりぽっち」ということもありますね。
では、「ひとりぼっち」なのか「ひとりぽっち」なのか。
国語辞典を開いてみますと。「ひとりぼっち」の項目で出ています。そして、そのすぐ後に。「ひとりぽっち」とも。そんなふうに書いてあります。
ひとりぼっち。これはもともと、「独法師」(ひとりぼうし)から来ているんだとか。
ひとりぼうしから「ひとりぼっち」の言い方が生まれたものなんでしょうね。
「ひとりぼっち」は、「ひとりぽっち」の友だちがいるので、さみしくはないのでしょう。
『ひとりぼっちのあなたに』。そんな題をつけた詩人に、寺山修司がいます。
1965年に、「新書館」から『ひとりぼっちのあなた』の詩集を出しています。
寺山修司は1935年12月10日の生まれ。この時、二十九歳だったことになります。
『ひとりぼっちのあなたに』の前書きに、寺山修司はこんなふうに書いているのですが。
「もし、出来れば、この小文はジョン・ルイスのレコード「ロドリーゴ・アランフェス協奏曲」を聴きながら読んでいただけると幸甚である。これはしずかなモダン・ジャズだが、ぼくの大好きな曲で、ここに収めたエッセイは、ほとんどこれを聴きながら書いたものだからである。」
うーん。いかにも寺山修司らしい語り口ですね。
寺山修司は最初、詩からはじめて。1948年、十二歳で、詩を書いています。少なくとも早熟の文学青年だったのは、間違いありません。
詩からやがて俳句に、俳句から短歌へと。
マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの
祖国ありや
これは寺山修司の短歌の中でもっともよく識られているものでしょう。
寺山修司は多才な人物で。後には多くの戯曲をも書いているのは、ご存じの通り。
1967年には、演劇実験室「天井桟敷」を設立。
天井桟敷は、渋谷区渋谷三の十一の七にありましたね。
一階は喫茶店、その地下が劇場になっていて。
1960年代の「天井桟敷」をふり返るには、
『ジャパン・アヴァンギャルド』を開くのが、近道でしょう。2004年に「パルコ出版」から出た本です。
この中で、九條映子が詳しく語っていますから。
九條映子はこの時のインタヴュウで、ピー・ジャケットを羽織っているのですね。
まさか寺山修司が着ていたピー・ジャケットではないのでしょうが。少なくとも古い男物のピー・ジャケットのように思えるのですが。
「ピー・ジャケット」pea jacket は英語。
オランダ語の「ピー・イエッケル」pij jekker から出た言葉。
英語としての「ピー・ジャケット」は、十八世紀からすでに用いられています。
「フィリップ・ドウジットという使用人が、カージーのピー・ジャケットを着て逃走した。」
1725年「ニュウジャージ・アーカイヴズ」に、そのような文章が出ています。
ここでの「カージー」粗いラシャのこと。
どなたか十八世紀ふうのピー・ジャケットを仕立てて頂けませんでしょうか。