シルクとシャール

シルクは、絹のことですよね。
silk と書いて「シルク」と訓みます。
戦前までの日本が「絹の国」であったのは、ご存じの通り。

さまざまに 育てられたる 蚕かな

小林一茶の句であります。
江戸時代でもいかに養蚕が盛んだったかが窺えるでしょう。
当時の呼び方では「お蚕さま」。
農家にとっては貴重な現金収入でもあったので、必ず
「お蚕さま」と呼んだものです。
昭和五年の日本繭の生産量、ざっと40万トンであったという。
日本の、約221万戸が、蚕に関わっていたそうですからね。
そして、その繭は多くが輸出用だった。日本の絹を海外に輸出するための港が、横濱港だったのです。
日本に繭が伝えられたのは、縄文時代の末期。渡来人から、直接に。
つまり、米づくりと同じくらいの歴史持っているわけですね。
古代の日本では宮中でも蚕が飼われていたんだそうです。
それがある時から中断されて。
この蚕の習慣を復活なさったのが、昭憲皇后。
明治天皇のお妃。
昭憲皇后がご相談なさったのが、澁澤榮一。
澁澤榮一は親戚でもあった群馬の田島武平を紹介したのです。
明治四年のことでありました。
明治五年のはじめ。田島武平は、娘の「民」(たみ)を、
宮中に参上させています。
その時の日記が、『宮中養蚕日記』なのです。
『宮中養蚕日記』は、明治五年三月十四日からはじまっているのですが。今となっては貴重な記録というべきでしょう。
シルクが出てくる小説に、『ウイルヘルム・マイスターの遍歴時代』があります。ドイツの作家、ゲエテが、1829年に発表した物語。

「いろんな種類の上品な布地が光を放っていたが、色絹物だけは見あたらなかった。」
これは結婚衣裳を眺めている場面。
「色絹物」は最後に買い揃えるので。
また、『ウイルヘルム・マイスターの遍歴時代』には、こんな描写も出てきます。

「色も彩な軽い首巻を彼に与えた。」

ここでの「首巻」はマフラーでしょうか。
マフラー。ドイツでは、「シャール」schal になります。
どなたか絹のシャールを作って頂けませんでしょうか。