茅ヶ崎はいい所ですよね。東京から電車に乗ると、一時間と少しで、着きます。
それで、静かな、緑の多い町。相模湾の輝きを目にすることができるのですから。
茅ヶ崎にあるのが、「茅ヶ崎館」。海のすぐ近くに建っています。「茅ヶ崎館」は映画人にとっては「聖地」ともいえる場所なんだそうです。
かの偉大なる小津安二郎が偏愛した旅館なので。小津安二郎は、戦前から「茅ヶ崎館」を愛していたらしい。そして戦後すぐに、また「茅ヶ崎館」を訪れています。
小津安二郎にとっての「茅ヶ崎館」は、寛ぎの場であったと同時に「仕事場」でもあったのです。代表作と言ってよい『東京物語』もまた、「茅ヶ崎館」で生まれているのですから。
小津安二郎は、「まず脚本ありき」で。その脚本を書くための宿が「茅ヶ崎館」だったわけです。脚本が生命ですから、役者が科白を変えることを嫌った監督でもありました。
脚本家の、野田高悟とふたりで、練りに練った科白だったから。伝説として。一升壜が百本空くと、脚本の完成。そんなことも言われてようです。少なくとも小津安二郎が空いた一升壜に番号を振っていたのは、ほんとうのことらしい。
小津安二郎の言葉に。
どうでもよいことは流行に従い
重大なことは道徳に従い
芸術のことは自分に従う
そんなのがあったようです。
小津安二郎といえば、「ピケ帽」でしょうか。撮影に入ると、毎日、白ピケ帽に、白いシャツ、そしてチャコール・グレイのズボンという姿だった。
いつも同じ恰好であるのを不思議に思ったひとりに、有馬稲子が。有馬稲子はある時、小津安二郎の自宅を訪ねる機会があって、その疑問が解けたという。
白ピケ帽は、十個くらい。チャコール・グレイのズボンは、無数に押入れに入っていたそうです。
チャコール・グレイは読んで字のごとく、「消し炭」の色。もっとも自己を主張しない色。
もっとも自己を主張する芸術家が、もっとも自己を主張しない色を偏愛していたわけですね。