ボートに乗るのは、愉しいものですね。今もあるんでしょうか、千鳥ヶ淵の貸しボート。私の若い頃には、都内での絶好の逢引の場でありました。なんと言っても、水の上で、ふたりきりになれるんですからね。
「ボート」ほど際限のないものもありません。むかし、ある富豪から誘われて、「ボートに乗りに来ないか?」。実際に波止場に行ってみると、豪華客船が泊まっていたという話があります。千鳥ヶ淵の貸しボートもボートなら、ある人にとっては豪華客船もまた「ボート」なのでしょう。
ボート・レースはなんとなく、英國が本場という印象があります。「ザ・ボート・レイス」といえば、オックスフォード大学とケンブリッジ大学の対抗試合のことで、ほとんど国民的行事になっているほどです。
「ザ・ボート・レイス」を頂点として、イギリスには多くのボート試合があります。これもまた、英國の伝統と関係がありそうです。イギリスは島国で、はるか以前から海軍に力を入れた。セイラー服を男の子に着せたのも、そのあらわれでしょうね。
セイラー服より直接的な競技が、ボート・レイスだったのです。いつ海軍に入っても、すぐに行動できるような心構えとして。
あのボーター・ハットが生まれたのも、ボートの練習中のことで、ブレイザーの誕生がボート競技からはじまっているのは、よく知られているところでしょう。ボート抜きに英國のファッションを考えることはできません。
ボートが出てくる短篇に、『インディアン村』があります。もちろんヘミングウェイの物語。
「湖の岸にもう一そうボートが寄せてあった。」
ヘミングウェイの名品『インディアン村」は、この一行からはじまるのですね。
ヘミングウェイの、魅力的な短篇のひとつに、『この世の首都』があります。これは、スペイン、マドリッドの、闘牛士の生活を描いた、好短篇。この中に。
「五月のあの暑い午後、金蘭の闘牛服の重みがずっしり肩にのしかかる感触も覚えていた。」
今は引退した、ある闘牛士が、過ぎた以前を、思い起こしている場面。「闘牛服」は、「ボレロ」でしょうか。厚く厚く、刺繍しているので、重いのでしょうね。
あの闘牛士のボレロからすれば、私たちのスーツは可愛いものですよね。