ブラボーは、よく使いますよね。演奏会に行って、その演奏に感動した時などに、「ブラボー!」。ブラボーは今や世界語のひとつなのも知れませんが。
でも、ブラボーはもともとはイタリア語だったらしい。もちろん、「素晴らしい」の意味。
男の人には、「ブラボー」。女の人には、「ブラバー」。女も男も一緒の団体なら、「ブラビー」になるんだそうですが。
「ブラボー」は、明治の頃から用いられていたようですね。
「幾千の観客は狂せんとす。ブラボーの呼び声。テーブルを叩く響、家を崩さんばかりなり、…………………。」
永井荷風著『ふらんす物語』にも、そのように出ています。
これは当時の巴里での様子。荷風は、「バル、タバラン」と書いているのですが。まあ、今様に申しますと、キャバレエでしょうね。荷風は、キャバレエ、「タバラン」に行った。その時の様子を、「夜半の舞踏」という随筆に詳しく述べているのです。いうまでもなく、「やわのぶとう」と訓むのですが。
ブラボーが出てくる小説に、『オズのスケッチ』があります。もちろん、ディケンズの出世作。
「ブラボー、ブラボー」 オーヴァトンがささやいた。「さあ、押しますよ」
これは「トロット」が、無理矢理、馬車に押し込まれようとしている場面。また、『オズのスケッチ』には、こんな描写も出てきます。
「白い靴下、ぴかぴかに磨いた半長靴のブルーチャーをこれ見よがしに、傘を持たずに街を歩いていた。これは、ニコデマス・ダンプスの姿。いささか傘がくたびれているので、持ちたくはない、と。
ブルーチャー bl uch er が、「外羽根式」の靴のスタイルであるのは、ご存じの通り。
この「ブルーチャー」のもとになった人物は、プロシアの軍人。ゲプハルト・レーベヒト・フォン・ブリュッヒャー。1742年12月16日に生まれています。
1815年6月18日。ベルギーのワーテルローで、戦争。連合軍が、ナポレオン軍を破った日。
この時、たぶんブリュッヒャーは外羽根式の軍靴を履いていたものと思われます。これを見たウエリントン公が……………………。まあ、それほど単純ではなかったでしょうが。
プロシアのブリュッヒャーと、ワーテルローと、ウエリントン公とが、「ブルーチャー」に関係しているのは、間違いないでしょう。
よく磨いたブルーチャーを履いて、演奏会に行くとしましょうか。