アンデルセンという名前のパン屋がありますよね。「アンデルセン」は、日本でのデニッシュペストリーとしては、わりあい早いほうではないでしょうか。
「アンデルセン」は、もともと広島ではじまっています。広島の「タカキ・ベーカリー」から生まれたパンなのです。戦後間もなく、高木俊介がはじめたので、「タカキ・ベーカリー」。高木は「タカキ」と、濁らずに訓むんだそうです。そのタカキ・ベーカリーが新しい考えのパンを売り出す時の名前が、「アンデルセン」だったのです。
むかしタカキ・ベーカリーには、城田幸信というパン職人がいた。1950年代のことです。この城田幸信が三年の間、研究に研究を重ねた結果が、「アンデルセンのパン」だったという。
「アンデルセン」のお世話になったのが、向田邦子。その頃、青山通りに面して「アンデルセン」があって。その裏手側のマンションに、向田邦子は住んでいた。
誰かから電話があって、「お伺いしたい」。そんな場合には。
「アンデルセンって、ご存じ?。アンデルセンの裏手のマンションなのよ」
これで、いとも容易く教えることができた、と。向田邦子著『男どき 女どき』に出ている話なのですが。
アンデルセンはなにもパンだけではなくて。デンマークの詩人の名前でもあります。ハンス・クリスチャン・アンデルセン。アンデルセンは詩や童話でも有名でしょう。が、小説をも多く書いています。たとえば、『ふたりの男爵夫人』だとか。1848年年に発表された物語。この中に。
「二人は隣室に移ってあらざしの革の外套をそこに脱ぎ捨てた。」
ここでの「二人」とは、男爵の、モメ・リュウセンと、その奥方。夫婦そろって、あらざしのコートを着ているわけです。
1840年代のデンマークでは、あらざしのコートが珍しくはなかったものと思われます。
なにかコートを羽織って、アンデルセンに行くとしましょうか。