巴里は、誰にとっても憧れの街ですよね。あるイギリス人が私にこう言ったことがあります。
「私はどこよりも巴里の街が好きです。ただし、フランス人がいない巴里という意味なのですが。」
うーん、いろんな「巴里好きがいるんでしょう。
戦後間もなく、巴里に渡った日本人女性がいます。石井好子。石井好子は戦前、クラッシック歌手。戦後になってシャンソン歌手に。昭和二十五年のことです。
石井好子はまず、アメリカに。アメリカのニューヨーク港から船で、フランスのルアーヴル港へ。ルアーヴルから、巴里へ。巴里では運良く、「パスドック」で歌わせてもらえることに。
その頃の巴里には、小さなシャンソニエがたくさんあったのです。「パスドック」そんな中のひとつ。
ある時、石井好子が「パスドック」で歌っていると。ひとりの日本人男性が、赤い薔薇の花、二十本抱えてやってきた。その男の名前、藤田嗣治。
藤田嗣治は巴里の有名人で。それ以来、まわりの人の石井好子を見る目が変ったという。その時が、藤田嗣治との最初の出会い。
しばらく経って、親しくなって。石井好子は藤田嗣治に訊いた。「どうしてあの時、いらしてくださったのですか?」
「同じ日本人として、キミのことを励ましてやりたかったんだよ。」
石井好子著『私の小さなたからもの』に出ている話なのですが。
藤田嗣治が巴里に住んだのは、1913年のこと。石井好子とは四十年近く差があります。でも、藤田嗣治は同じ日本人に励まされた記憶があったのかも知れませんね。
石井好子の『私の小さなたからもの』には、こんな話も。
「仕事の最中でも、後でも、オー・デ・コロンをたっぷり首や脇の下につけると、ほっと一息、気分が変わることを知ったからだ。」
なるほど。パルファンは気分転換の魔法薬でもあるのですね。
好みのオオ・ドゥ・コローニュで、巴里の夢でも見るといたしましょうか。