傘は雨降りには欠かせないものですよね。傘にも星の数ほどの種類があります。
あらゆる傘の中でもっとも色っぽいのが、蛇の目。蛇の目傘。蛇の目傘とまで言わなくても、蛇の目で充分通じます。もちろん、和傘。日本の発明です。拡げた傘の真ん中が、蛇の目のよう。それで、蛇の目傘。怖い名前の艶なる傘でありましょう。
蛇の目なら、着物で。着物なら、爪革で。まあ、男ならもうそれだけで、くらくらと……………………。
蛇の目が出てくる小説に、『傘』があります。1937年に、田村泰次郎が発表した短篇。
「女は男より一足さきに、三和土に降り立つて、黄仕上げの胴の蛇の目を半開きにして見た。」
これが、黒塀のお屋敷というのですから、舞台は揃っております。女がこれほど美しくしく思える場面は、それほど多くはないでしょう。
田村泰次郎の代表作は、昭和二十二年の『肉体の門』。たちまち、120万部に達したという。『肉体の門』は、芝居でも好評。後に映画にもなっています。
田村泰次郎と仲良しだったのが、高見 順。高見 順が昭和四十年に世を去った時。田村泰次郎はお悔やみの文を書いています。『完璧な近代作家』と題して。
この文章の中で、高見 順がある時突然、洋服から和服に変ったことに触れています。それは昭和八年頃のこと。高見 順は「日本コロムビア・レコード」に勤めていて、独立。この折、スーツから、着物へ。高見 順がサラリーマンから文士になった瞬間であります。
余談ですが、この両者を引き合わせたのが、武田麟太郎だったという。
田村泰次郎が、昭和三十七年に書いた短篇に、『ある香港人』が。この物語の中に。
「俊敏そうな身体つきを、お手のものの、スマートな裁断のグレイの洋服に包んでいる。」
これは、馬 立齢という名前の香港人。「お手のもの」とは、馬 立齢は、香港、九竜のペキン・ロードのテイラーの主人だから。小説の主人公も、馬の店で何着かのスーツを仕立てている。
「テイラー・アンド・カッター」とはよく言ったもので、スーツの命は裁断、すなわちカット。カットでスーツは決まります。もし「カット」が何であるかを識っていれば。
まずまずのカットのスーツを着て。蛇の目の似合う女を探しに行きたいものですが。