一銭は、一円の百分の一ですよね。藪から棒に一銭といわれても、ほとんど実感が湧いてきません。ひとつだけ記憶にあるのは、「一銭洋食」。
私にとっての「一銭洋食」は、駄菓子屋で食べる簡素この上もない、お好み焼きでありました。戦後間もなくの話ですが。溶いたメリケン粉を薄く焼いて、わずかに刻んだキャベツ。それをソース味で食べるので、「洋食」だったのでしょう。
明治三十八年の、「木村屋」のあんパン。ひとつ一銭だったという。明治三十八は、西暦の1905年。今からざっと120年近く前のこと。これで物価変動の一端が分かろうというものです。
余談ではありますが。明治三十年頃の珈琲いっぱいの値段、二銭だったという。
一銭銅貨が出てくる随筆に、『借衣』があります。大正十二年に、井伏鱒二が発表した文章。
「黒い靴下のかがとのところに鳥渡一銭銅貨位ひの穴のあいたのをはいてゐた。」
これは電車の中で見かけた女子美大の生徒の様子。
また同じ井伏鱒二に、『たま虫を見る』の随筆があります。これは、大正十五年の発表。
「私はインバネスを着て外に出た。」
大正十五年頃、井伏鱒二はインヴァネスを着ていたことが窺えるでしょう。
今の私に、インヴァネスを羽織って。銀座の「木村屋」に行く勇気があるのか、ないのか。