人魚は、マーメイドのことですよね。もっと古くは、「セイレーン」の言い方もあったという。
今、サイレンといいますが、サイレンの源は「セイレーン」から来てんだそうです。
人魚とは申しますが。男の人魚は見たことありません。絵なんかではもまず例外なく「女の人魚」。それもとびきりお美しくしくて、男が迷わずにはいられないお姿で描かれております。
セイレーンなら古代ギリシアからありますから、古い伝説なのでしょう。一説に、長い船旅に疲れた水夫が、ジュゴンを見ての幻であろう、と。ちいさな鯨とも言えるジュゴンが子を抱く様子は女の姿に似ているとも。
人魚と題につく小説に、『人魚の嘆き』があります。大正七年『中央公論」一月号に発表された短篇。
『人魚の嘆き』は、戦前の中国、南京が物語の舞台になっています。ある美青年を、貴婦人が戀する内容になっています。
谷崎潤一郎は、文体を凝りに凝った作家。美文の見本のような文章であります。
その谷崎潤一郎がほとんど唯一、尊敬を捧げたのが、永井荷風。谷崎潤一郎がはじめて敬愛する永井荷風に会ったのは、明治四十三年十一月二十日のこと。その日に行われた「パンの会」で。その時、谷崎潤一郎は永井荷風にどんなことを言ったのか。
「先生! 僕は實に先生が好きなんです! 僕は先生を崇拝してをります。! 先生のお書きになるものはみな讀んでをります!」
谷崎潤一郎が、昭和七年頃、「中央公論」に発表した『青春物語』に、そのように書いています。
その時代、谷崎潤一郎はどんな恰好をしていたのか。もう一度、『青春物語』を開いてみると。
「此の時の山高帽と二重廻しとは借り物ではない。二重廻しの方は柳原で十三圓で買つたのである。」
当時の柳原には、古着屋が並んでいたらしい。「十三圓」は、今の13,000くらいでしょうか。
「二重廻し」と「トンビ」は、微妙に違っています。まず「インヴァネス」があって。これは主に西洋服の上に。日本服の上に重ねるようになって、「トンビ」。このトンビの着丈を長くしたものが、二重廻しだったのです。
つまりこの時代の谷崎潤一郎は、着物の上に、「二重廻し」を羽織ったものと思われます。