西瓜は、夏の果物ですよね。どうしてあれが西瓜かと申しますと。昔むかし、西域から渡来したと考えられたので、「西瓜」と書いたらしい。
また、井戸水で冷やしてから食べるので、「水瓜」とも。
「御夏さんが、なんぼ靜岡だつて水瓜位はありますよと、御盆に水瓜を山盛りにして持つてくる。」
明治三十九年に、夏目漱石が発表した『吾輩は猫である』の一節。漱石は、「水瓜」と書いています。漱石の頭の中では、「水瓜」になっていたのでしょう。
水瓜にせよ西瓜にせよ、明治の人はなんと訓んだのか。「すいくゎ」。今、私たちは、「すいか」と口にし、「すいか」と訓みます。が、明治の頃には、「すいくゎ」だったらしい。
西瓜の種がお好きだったのが、團 伊玖磨。西瓜の種と言いましても、生ではなくて、一度炒った種。まあ、広くナッツの一種みたいなものでしょう。
外は黒くて、堅くて。これを縦に致しまして、歯を立てますと、ぱちんと割れて、白い実が。美味しいものです。
團 伊玖磨は作曲の合間に、西瓜の種をぱちりぱちり。團伊玖磨のオペラ『楊貴妃』に耳傾けると、はるか遠くのほうから、微かに西瓜の種の薫りがしてくるのかも知れませんが。
西瓜の種は分かります。が、誤解を招きかねないのは、柿の種。「柿の種をぼりぼりと喰う」。これは日本人には理解できます。でも事情を知らない西洋人なら、「柿の種、喰う?」となるかも知れませんが。「ヨホド、ニホンジン、ハガジョウブナノカ?」と。まあ、誤解もまた、結構ではありますが。
西瓜の種が出てくる小説に、『上海』があります。林 京子が、昭和五十七年に発表した物語。
「赤煉瓦の壁に寄りかかって、シーコツ(西瓜の種)を噛んでいた。」
林 京子が三十六年ぶりに訪れた上海での光景。また、『上海』には、こんな描写も。
「広場の入口に、白い上着を着た男が一人いる。守衛と呼んでいいのだろうか。」
私の勝手な想像ですが、この「白い上着」、スタンド・カラーではなかったか、と。
つまり、今の私、白い立襟の上着を、着たいなあと想いはじめているのですが。