ジャージーとジレ

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ジャージーは、編地のことですよね。j ers ey と書いて、「ジャージー」と訓みます。
「ジャージー」は英語としては、1583年頃から用いられているとのことです。もちろん、英国領のジャージー島から着ている言葉であります。
ジャージー島の漁師が古くから着ていた作業着から生まれたものです。つまり、もともとは今いう「スェーター」だったわけですね。それが長い時代の中で、現在は「編地」を指す言葉とされます。

「 玄関から上ってきた潤子は、薄茶のジャージのワンピースをきて、服とお揃いの布で作ったベレエをかぶっていた。」

昭和二十九年に、佐多稲子が発表した『子供の眼』には、そのように書いています。
佐多稲子の『子供の眼』では、「ジャージ」となっています。
佐多稲子は若い頃の一時期、衣料品の販売に携わっていたことがあるらしい。わりあい早くから、「ジャージ」は身近なものだったのかも知れませんが。
佐多稲子が昭和三十三年に発表した長篇に、『歯車』があります。この中に。

「この二人のうち、どちらかにセーターを編むことを頼んだらどうだろう。二人のうちどちらに頼んだらいいかお前の意見を聞きたい……………………。」

これは「広介」から「明子」に宛てた手紙の一節。そろそろ冬が来るので、「セーター」が一枚欲しいという内容になっています。
昭和三十年頃には、スェーターは買うというより、「編んでもらう」という想いのほうが強かったのでしょうか。
ジャージーと関係あるフランスの作家に、ユゴーがいます。長篇『レ・ミゼラブル』は広く知られているところでしょう。
ユゴーは、1852年8月5日。ジャージー島に到着しています。
ヴィクトル・ユゴーは「反ナポレオン」の論陣を張ったために、巴里にいられるなくなって。
1851年12月11日の夜。巴里の北駅を発って、ベルギーのブリュッセルへ。印刷所の
植字工、「ランヴァン」になりすまして。
そして1852年7月31日、倫敦へ。倫敦からさらに、ジャージー島に向ったという。
1829年頃。ユゴーが二十七歳の時の写真を観ますと。黒いクラヴァット の、立襟のジレ を着ているのです。
ユゴーといえば、あまりに有名な赤いジレ を想うのですが。そのスタイルは、立襟ではなかったでしょうか。
前ボタンは三個。胸開きは広く、それでいて立襟になっているのです。
どなたかユゴー式のジレ を仕立てて頂けませんでしょうか。

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