シェイクスピアと絨毯鞄

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シェイクスピアは、英國の戯曲家ですよね。もちろん、ウイリアム・シェイクスピアであります。
シェイクスピアのお父さんは、ジョン・シェイクスピアで、優れた手袋職人であったという。1564年4月24日頃、ウイリアム・シェイクスピアは生まれています。が、それより前の、1552年に、ジョン・シェイクスピアは、ヘンリー・ストリートで「手袋商」を営んでいたそうですね。
後の時代、貴族のための凝った手袋を作ることもあったらしいので、「優れた手袋職人」というのも、間違いではないでしょう。
シェイクスピアの時代の朝食は、だいたい6時半くらいだったという。これは少なくとも、寝室で。ベッドで食べることも珍しくはなかった。主食は、肉。それも今から考えますと、大食らいだったという。
いちばんのご馳走は、昼。昼はだいたい三時間くらいもかけたそうですね。
夕食は軽く、6時頃に。
食後のフルーツも豊富にあって。りんご、梨、プラム、メロン、いちご。いちごは特に好まれたようですね。
シェイクスピアの数多い作品の中でも、ことに評価が高いものに、『オセロー』があります。
『オセロー』は、1604年11月1日に、上演された記録があります。「ホワイトホール・パレス」にて。当時の貴族たちが観客となって。
『オセロー』の舞台背景は、ヴェニス。『オセロー』は好評で、何度も繰り返して演じられて。
かの「日記作家」サミュエル・ピープスも、1660に劇場に足を運んでいるようです。その時のオセロー役は、俳優のナサニエル・バートだったと伝えられています。
『オセロー』の鍵のひとつは、ハンカチーフ。どのハンカチーフを誰が誰に渡したのか、渡さなかったのか。

奥様は忠実かもしれません。ただ一つうかがいたいのは。
奥様がイチゴの刺繍のしてあるハンカチを
お使いになるのをごらんになったことはありませんか?

これはイアーゴーが、オセローに対しての科白として。そしてオセローの妻が、デズデモーナという設定になっています。
『オセロー』には少なくとも数十回、「ハンカチーフ」の言葉が出てきます。『オセロー』は、「ハンカチーフ劇である」と言っても、それほど大きな間違いではないでしょう。
シェイクスピアの時代、すでにハンカチーフもイチゴも、この上なく身近かな代物であったことが窺えるでしょう。
世の奥方は、『オセロー』を観た後で。特徴あるハンカチーフだけは落とすまいと、決心するでありましょう。
シェイクスピアが出てくる小説に、『地獄の花』があります。明治三十五年に、
永井荷風が発表した短篇。

「閨秀小説家、婦人新聞記者、女子大學講師、種々なる理想は、毎日スヰントンの英文學や、シェークスピーヤのドラマ抔……………………。l

また、『地獄の花』には、こんな描写も出てきます。

「其の間から冷い黄昏の光は僅に絨氈を照らすばかり……………………。」

永井荷風は、「絨氈」と書いているのですが。
むかし絨毯で鞄を作った話。つまり、「カーペット・バッグ」であります。
時代は、アメリカの南北戦争の頃。1860年代のことです。とにかく戦乱期でありますから、「山師」が蔓延ったのも、当然でしょう。これら「山師」が持ち歩いてというのが、
カーペット・バッグ。そこで、「カーペット・バガー」の言葉が生まれたのであります。つまり、当時、「カーペット・バガー」は「山師」の意味だったのです。
アメリカ英語としての「カーペット・バガー」は、1868年頃から用いられているという。
カーペットにも様々ありまして。たとえば、シルクの絨毯だとか。
どなたか絹の「絨毯鞄」を作って頂けませんでしょうか。

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