天才は、天が与えし才のことですよね。モオツアルトの例を出すまでもなく、世の中にはたしかに天才はいます。ただ、それほど多くはありませんが。
世に天才の名を恣にする人たちの間にも真にわが霊の匂を知り………
北原白秋が、大正二年に発表した詩、『桐の花』にそんな一節が出てきます。ということは、北原白秋ご本人は、天才だとは思っていなかったのでしょうね。
「天才だけが好いのだ。
あとは何といつても大同小異なのだ、それに過ぎないのだ。」
昭和二年一月十五日(土曜日)の日記に、中原中也は、そのように書いています。中原中也、二十歳の時に。
中原中也はご自分で、天才だと思っていたのでしょうか。思っていなかったのでしょうか。
樹脂の香に 朝は悩まし
うしなひし さまざまのゆめ
中原中也の詩、『朝の歌』に、そのように詠まれています。これは大正十四年の、中原中也の詩だと考えられているのですが。中原中也、十八歳の時のことです。
天才が出てくる小説に、『美わしきフェルミナ』があります。1910年に、フランスの作家、ヴァレリイ・ラルボオが発表した物語。
「………自分の天才の《証拠》と称するものを提出したのだった。」
これはジャン・ジャック・ルソーについて。
また、『美わしきフェルミナ』には、こんな描写も出てきます
「私達はラケットやテニス靴を注文した。それは非常に楽しいことだった。」
これは、「サントス」と、「ドゥモワゼル」とが、テニスに夢中になったので。
1900年代のフランスのテニス・シューズは、どんなふうだったのでしょう。おそらくは白い鹿革で、紐結び式のものであったでしょう。底は、ラバーソールで。
どなたか1900年代のテニス・シューズを再現して頂けませんでしょうか。