草競馬とクロウズ

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草競馬は、地方競馬のことですよね。大競馬に対しての「小競馬」のことでしょうか。

田村隆一が1990年に発表した詩に、『ぼくの草競馬』があります。それは詩であり、随筆でもあるのですが。
この文章の中には「鮎川信夫」の詩も引用されているのです。
鮎川信夫と田村隆一とは、親友だったので。鮎川信夫には、『競馬場にて』の詩がありますので。
田村隆一は『ぼくの草競馬』の中に、こんなことも書いています。

「ぼくの頭の中には、フォスターの歌曲がたえまなく鳴りひびいている。」

田村隆一は草競馬から、フォスターの『草競馬』を想っていたに違いありません。

『草競馬』が、アメリカの作曲家、スティーヴン・コリンズ・フォスターの代表曲であるのは、言うまでもないでしょう。
スティーヴン・コリンズ・フォスターは『草競馬』のみならず、多くの名曲を生み出しています。

『おお、スザンナ』は、1848年の作曲。
『草競馬』は、1850年の作曲。
『故郷の人びと』は、1851年の作曲。
『ケンタッキーのわが家』は、1853年の作曲。
『金髪のジェニー』は、1854年の作曲。
『オールド・ブラック・ジョー』は、1860年の作曲。
余談ではありますが。1851の『故郷の人びと』は、スワニー河の歌詞でもよく識られている曲ですよね。
1928年に、ケンタッキー州はこの曲を「州歌」に制定しています。

このアメリカの偉大な作曲家、フォスターについては、團伊玖磨の随筆集『九つの空』に詳しく書かれています。團伊玖磨も作曲家なら、フォスターもまた作曲家でしたからね。

フォスターは、1864年1月13日に、ニュウヨークで三十七歳の生涯を終えています。
その少し前のニュウヨークでの話。フォスターがたまたまニュウヨークの楽器店に立ち寄ったところ。店員の態度が素っ気なくて。
その中でたったひとり、フォスターに親切に接してくれたのが、「パークハースト・デューア」という名前の若い女性だったのです。
フォスターはパークハーストに感謝をし、自分の着ている身形を恥じた。あまりに質素な服装だったので。その時の、パークハーストの言葉。

「私がお目にかかりたかったのは、フォスター樣です。服装にお目にかかりたかったのではありません。」

服装が大事なのか、中身の人間が大事なのか。
服装。「クロウズ」clothes 。
一流の服装はたしかに素晴らしい。でも、それを着ているのがもし一流でなかったなら。
クロウズ clothes 。短い言葉ですが、大いに考えさせてくれる言葉ではないでしょうか。
服と中の人との、つりあいがとれている時、もっとも美しく耀くのでしょうね。

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