キャヴィアとキャスケット

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キャヴィアは、高級食品ですよね。言うまでもなく、チョウザメの魚卵であります。
もっともキャヴィアは主食ではありません。前菜。小さな円盤、ブリーニに載せて、ウオトカと一緒に頂くことが多いものです。
昭和十一年に、キャヴィアを召しあがったお方に、古川ロッパがいます。

「スープはポタージュ、犢の骨つき、キャビアのオルドブル。満腹した。」

『古川ロッパ昭和日記』にそのように出ています。昭和十一年一月十九日(日曜日)のところに。これは名古屋のレストラン「アラスカ」でのこと。

フランスでキャヴィアが一般的に食べられるようになったのは、1920年代のことなんだそうです。
フランスでのキャヴィアのきっかけを創ったのは、「ペトロシアン家」。ペトロシアン家はもともと、アルメニアの出身。アルメニアでは、養蚕を手広く営んでいて。でも、戦争で国を追われる。1917年のこと。流れ流れて、辿り着いたのが、巴里。1920年のことです。
1920年、ペトロシアン兄弟は、賭けに出る。全財産をキャヴィアに変える。
買ったキャヴィアが巴里に届くと、試食会を。「リッツ・ホテル」で。このキャヴィア試食会は、大成功。まず第一に、オテル・リッツがキャヴィアをメニュウに載せてくれた。そして第二に、巴里の食通たちがキャヴィアを好むようになったので。やがては、キャヴィア専門店も生まれて。
たとえば、1923年に、ド・ガラードが開いた「キャヴィア・ヴォルガ」だとか。あるいは、「キャヴィア・カスピア」だとか。
ペトロシアン家もまた、専門店「ペトロシアン」を開いています。これらのキャヴィア専門店は、ほとんど「ペトロシアン家」から仕入れていたのですが。

キャヴィアが出てくる伝記に、『僕の知っていたサン=テグジュペリ』があります。1994年に、レオン・ウェルトが発表した伝記。

「僕らは、当時流行の、キャビアがすべてのすのっぶ。な連中の手に届く値段で出されていたロシア料理屋で食事することもあった。」

ここでの「僕ら」とは、サン=テグジュペリt、レオン・ウェルトのことなのですが。
レオン・ウェルトは、『僕の知っていたサン=テグジュペリ』の中で、こんなことも書いています。

「サン=テグジュペリはトランプ手品師だった。」

その腕前は素人離れしていたという。
著者のレオン・ウェルトが愛用したのが、白いキャスケット。
「キャスケット」casket は、フランスでは「鳥打帽」の意味になります。

どなたか、白絹のキャスケットを作って頂けませんでしょうか。

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