ゲーテとゲーロック

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ゲーテは、ドイツの文豪ですよね。ゲーテの代表作は、『若きウエルテルの悩み』でしょうか。1774年の発表。フランスの英雄、ナポレオン・ボナパルトも愛読したほどの名作。
『若きウエルテルの悩み』は、ゲーテが実際に見聞したことが、題材となっています。
ギョエテ。昔の日本では、そんな呼び方もあったようですね。

「たとへば森鷗外先生の「ギョオテ伝」を読んで御覧なさい。天才とは殆ど如何なる時にも訓練を受ける機会を逃さぬ才能と言ふことも出来るほどであります。」

芥川龍之介は、大正十四年に発表した随筆『文藝鑑賞』の中に、そのように書いています。
人の名前は、ことに外国人の名前は難しいものです。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、1749年8月28日に、ドイツのフランクフルトに生まれています。
1832年3月22日。ワイマルールで世を去っています。八十三年の生涯でした。

1823年にゲーテは、恋愛。おそらく人生最後の大恋愛だったでしょう。ゲーテが七十四歳の時のことであります。
場所はドイツの温泉町、マリエンバートで。ゲーテは健康のためにこの温泉地をよく訪ねていたのです。
この温泉で出会ったのが、「ウルリケ」。当時、十七歳の美女でありました。ウルリケ・フォン・レーヴェッツオ。年の差、六十七歳。

熱い泉のほとりでお前はお前の日々を送る
それを思うと私の心は揺らぎ千々に乱れる

ゲーテはそんな詩を詠んでいます。ここでの「お前」がウルリケを指しているのは、言うまでもないでしょう。
1823年、ゲーテは正式に結婚を願い出ています。が、ウルリケは冗談だと思っていたようですが。

ゲーテが出てくる日記に、『カフカ日記』があります。

「ゲーテは自分の作品の力によって、ドイツ語の発展をたぶん遅延させている。」

1911年12月23日の『日記』に、そのように書いています。また、同じ日の『日記』に、こんなことも。

「ようやくのちになってそのヴァイオリニストがフロックコートをサッとぬいで正体を現すと………」

これはカフカが演劇を観ている場面でのこと。
フロックコート。ドイツ語なら、「ゲーロック」
gehrock でしょうか。
フロック・コートは、ダブルのブレイザーを少し長くした上着に似ています。
どなたかブレイザー感覚で羽織れるゲーロックを仕立てて頂けませんでしょうか。

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