ヴァレリーとヴェルート

ヴァレリーは、人の名前にもありますよね。
たとえば、ポオル・ヴァレリーだとか。
ポオル・ヴァレリーはフランスの文学者ですね。
ポオル・ヴァレリーは1871年11月30日に、フランスのセットに生まれています。
偶然のことですが。フランスの作家、マルセル・プルーストが、1871年7月10日。巴里に於いて誕生。
ヴァレリーとプルーストは同い年だったんですね。
アンドレ・ジイドは1869年11月2日の生まれ。
ヴァレリーやプルーストの三つお兄さんだったことになるでしょうか。
アンドレ・ジイドとポオル・ヴァレリーは、かなり親しかったらしい。多くの手紙のやりとりをしていますから。

「朝の礼拝を勘定に入れるのを忘れていました。」

1890年12月21日、月曜日。ジイドはヴァレリーに宛てて、そんな内容の手紙を出しています。
たぶん、これが最初の手紙かと思われるのですが。
ヴァレリーとの約束の時間に行けなくなったことへの詫び状として。
これ以降、ジイドとヴァレリーは、頻繁に手紙を交しているのです。

「十月九日(月)の六時から八時二十五分にかけては暇だろうか。」

1899年10月1日。ジイドはヴァレリーに宛てて、そんな手紙を書いています。
この手紙への、ヴァレリーの返信は。

「君からの僕への指示がないかぎり、月曜日の午後六時、リヨン駅の軽食堂にいる。」

1889年10月2日(日)の手紙の内容。
ヴァレリーが出てくる伝記に、『ダヌンツィオ 誘惑へのファシスト』があります。

「一九二四年四月十二日、ポール・ヴァレリーがヴィットリアーレを訪れた。」

ここでヴァレリーは、ダヌンツィオに会っているのですね。
また、この伝記には、オスカー・ワイルドの話も出てきます。

「ワイルドはアメリカで、ビロードのフロックコートとサテンのズボンを身にまとって、「ハウス・ビューティフル」についての講演を行った。」

ビロードは、日本語。
時には、「ヴェルート」velluto と呼ばれこともあります。
どなたかヴェルートの上着を仕立てて頂けませんでしょうか。