アンは、女の人の名前にもありますよね。
ふつうAnne と書いて「アン」と訓むことが多いようですが。
誰もが知っているアンに、「赤毛のアン」があるでしょう。
もちろん物語の『赤毛のアン』の主人公ですよね。
『赤毛のアン』が発表されたのは、1908年六月のこと。
著者のモンゴメリーが三十四歳の時のことです。
今からざっと百二十年ほど前のことになるでしょうか。
その『赤毛のアン』が今もなお愛読されているのは、不思議なくらい。それも日本だけのことではなくて、世界の多くの国々で読み続けられているのですから。
物語のなかでアンは自分の名前に主張があったらしい。
「私のアンはAnne と書くほうのアンです。」
これは作者のモンゴメリーにも似たような事情があったとのこと。
モンゴメリーは1874年11月30日。カナダのプリンス・エドワード島に生まれています。
ルーシー・モード・モンゴメリーとして。
この場合の「モード」は、Maud 。Maude ではなくて。
それでモンゴメリーは幼い頃から、「モードMaud
と呼んでね。」と言っていたんだそうですね。ルーシー・モード・モンゴメリーが、『赤毛のアン』を書きはじめたのは、1905年、三十一歳の時だったという。
でも、『赤毛のアン』はすぐには採用されなかったらしい。少なくとも五社の出版社からお断りの手紙をもらっているようですから。
それでもついに、OKの手紙が。
1906年4月15日のことです。
アメリカ、ボストンの出版社から。
ただし、印税制で。本の卸値の一割の印税が条件だったとのことですが。
しかし『赤毛のアン』は、好評。売れに売れています。
それが今日まで続いているのですから、名作以外の何物でもありませんね。
アンが出てくるミステリに、『骨と髪』があります。
1961年に、レオ・ブルースが発表した物語。
「そこで、アンがいそうな場所を尋ねました。」
これは、ミセス・チョークの言葉として。アンがいなくなったので。
また、『骨と髪』には、こんな描写も出てきます。
「十分と経たないうちに、アントニー・イーデン帽をかぶった、意気揚々とした人物が窓の前を通って、中へ入ってきた。」
これは「フッド大佐」の様子として。
ここでの「アントニー・イーデン」が、かつての英国首相であるのは、言うまでもありません。
当時、アントニー・イーデンが愛用したのが、ホンブルグ。そこでホンブルグの別名が、「アントニー・イーデン・ハット」なのですね。
どなたかアントニー・イーデン・ハットを作って頂けませんでしょうか。