キャフェは、カフェのことですよね。
cafe と書いて「キャフェ」とも訓みます。
今、国語辞典を開いて「キャフェ」を調べますと。
「カフェを見よ」と出ています。
現在では「カフェ」がより一般的なのでしょう。
カフェと似て非なるものに「カフェエ」があります。
カフェエは明治から大正にかけてあった男の社交所。
「伊吾と二人でカッフェライオンに行く 郡がゐた。又カッフェ新橋へ寄り、伊吾の所へ泊まる氣だつたがヤメて自分だけ帰宅。」
志賀直哉は、明治四十五年三月三日、日曜日の『日記』に、そのように書いてあります。
志賀直哉は「カッフェ」と書いてあるのですが。
「カッフェライオン」は、当時、銀座四丁目の角にあった有名なカフェエのことですね。その時代の文士の溜場でもあったらしい。
志賀直哉の『日記』を読んでおりますと。
「一時頃新橋でわかれ、田屋で帽子を買つて園池訪問。」
そんな文章も出ています。
「田屋」は今もありますが、明治の頃には、高級舶来品だけを扱う店だったという。
明治四十五年は、志賀直哉、二十九歳の時だったのですが。
その時代にすでに舶来帽子をかぶっていたこと、間違いないでしょう。
「町並のシャンゼリゼーが並木のシャンゼリゼーへ一息つくところに道の落合がある。ロンポアン。さゝやかな噴水を斜に眺めてキャフェロンポアンがある。桃色の練菓子に緑の刻みを入れたやうで一掴みの建物だ。」
岡本かの子は随筆『世界に摘む花』の中に、そのように書いてあります。
岡本かの子は昭和四年十月に、ヨオロッパを旅していますから。
この時の旅は、岡本一平、岡本太郎も一緒だったのですね。
それはともかく、岡本かの子が「ロンポアン」に立ち寄ったことは、間違いないでしょう。
岡本かの子は「キャフェ」と書いているのですが。
岡本かの子は巴里からロンドンへも移っています。
昭和五年一月十七日に。ロンドンの「トキワ・ホテル」に泊っています。
「生々しい膝節を出してスカートのやうな赤縞のケウトを腰につけたスコットランド服の美貌の門番が銀盆の上に澤山の「平凡」を運んで来た。」
岡本かの子はそんなふうにも書いています。
ここでの「平凡」は、招待状のこと。
また、岡本かの子は「ケウト」と書いているのですが。
おそらく、「キルト」kilt のことではないでしょうか。
さらには「赤縞」は、タータンのことかと思われます。
どなたか本物のキルトを仕立てて頂けませんでしょうか。