シドニーは、街の名前にもありますよね。
Sydney と書いて「シドニー」と訓みます。
シドニーはオーストラリアの大都会。人口、ざっと400万人だとか。
シドニーは大きな街なのですが。穏やかな印象があります。
一事が万事、のんびりしていて。もしも約束の時間に五分や六分遅れても、にこやかに歓迎してくれる。
人情味あふれる大都会とでも言えば良いのでしょうか。
明治四十三年にシドニーに旅したお方、志賀重昂(しが・しげたか)がいます。
志賀重昂は、明治の地理学者。
明治四十三年に、戦艦「生駒」に乗せてもらって、世界一周をしています。
その途中、オーストラリアにも寄っていますので。
「停車場側の旅亭に午餐した。牛肉のサーロイン、南瓜などを供した。」
志賀重昂の紀行文『ウォントウォースの谿』に、そのように書いてあります。
シドニーは美味しいステーキが気軽に食べられる街でもあります。
ラムはもちろんとして、シーフードなどをも含めて、食材の豊富なところでもあります。
1970年にシドニーに旅した作曲家が、團伊玖磨。
これは当時発行されていた『週刊朝日カラー別冊』の取材として。
「羽田を午後三時に出発した飛行機は、翌日の午後六時にシドニーに着いた。」
團伊玖磨著『九つの空』に、そのように書いています。
これはエアーズロックを観るための旅だったのですが。
團伊玖磨はその前の年には、スコットランドに足を伸ばしています。
なぜ團伊玖磨はスコットランドに向ったのか。
スタッファ島に渡るために。
メンデルスゾーン作曲の歌に、『フィンガルの洞窟』があって。
これはフィンガル島に想を得た音楽だと考えられているらしいので。
團伊玖磨はぜひそのフィンガル島が観てみたいものだ、と。
ところがフィンガル島は、絶海孤島の無人島。
とても人が渡れる島ではなくて。
そんなことで團伊玖磨が諦めるはずもなく。苦心惨憺の末にスタッファ島に行く内容になっているのです。
團伊玖磨はスタッファ島を見学した後、シェットランドにも旅しています。
「シェットランドは五百年前迄はノルウェイ領だったヴァイキングの島である。」
團伊玖磨は『九つの空』に、そのように書いてあります。
シェットランドは夏には白夜が楽しめる北国でも。
また、シェットランド特有の羊がいることでも有名でしょう。
どなたシェットランド・ウールの上着を仕立てて頂けませんでしょうか。