足許の美術品
カウボーイ・ブーツはウエスタン・ブーツのことである。よくブルー・ジーンズにウエスタン・ブーツを合わせたりもする。
「カウボーイ・ブーツは高い踵のついた、ふくらはぎの中間くらいの長さのもので、主に男性用。凝った装飾がなされ、アップリケ・レザーが使われたりもする。昔、アメリカ西部のカウボーイによって用いられたので、その名前がある。」
シャーロット・カラシベッタ著『フェアチャイルド版ファッション辞典』 (1975年刊 )の解説文である。この辞典で「ウエスタン・ブーツ」をひいてみると、「カウボーイ・ブーツの項目を参照」と出ている。おそらくアメリカでは「カウボーイ・ブーツ」の方が優勢な表現だと考えられるのだ。
カウボーイ・ブーツはアメリカ西部で、1860年代に生まれたものである。カウボーイの履く乗馬用のブーツとしてはじまっている。今も馬に乗るためにはライディング・ブーツがあるように、乗馬には長靴(ちょうか) が不可欠のようである。
カウボーイの黄金期は1860年代から1880年代にかけてである。それはアメリカの横断鉄道の発展と結びついている。1860年代に、西部の牛を東部に運ぶと十倍の値段で売れたという。それでカウボーイたちは馬に乗って牛を追い、鉄道駅まで運んだのだ。
1880年代に鉄道網が整備されると、カウボーイは牛を追わなくてもよくなる。それで生まれたのが、バッファロー・ビルの「ワイルド・ウエスト」である。かつてのカウボーイの生活は一種のショーとなるわけだ。
カウボーイ・ブーツそもそものはじまりは、1860年代のことである。その頃、カンサス州に、「コフィヴィル・ブーツ」という店があった。コフィヴィルという町の靴屋だから、「コフィヴィル・ブーツ」。ここでは騎兵隊の履く乗馬靴を参考にして、カウボーイ・ブーツを作ったという。それは、「ドローヴァー」とか、「ストーヴパイプ」とか、「キャトルマン」の別名もあった。
「ストーヴパイプ」は、黒くて、長く、煙突に似ていたから。「ドローヴァー」は、「牛追い」の意味、「キャトルマン」は、「牧童」の意味であった。このニックネームからも想像できるように、それは単純素朴なブーツであったと思われる。つまり底は厚く、丸い爪先の、無骨な乗馬靴であった。
1868年には、「T・C・マッキナー」というカウボーイ・ブーツ・メーカーが誕生している。カンサス州のアビリーンで。T・C・マッキナーのカウボーイ・ブーツには、「ストージー」stogie のニックネームがあったという。これ以降、カウボーイの間では長く自分たちのブーツを「ストージー」の名前で呼んだものである。
昔、ペンシルヴァニア州、コネストーガ Constoga の町で安い靴が作られたことに由来する。「ストージー」は、「ドタ靴」の意味である。
1878年には、ジョー・ジャスティンがカウボーイ・ブーツの店を開いている。これはカウボーイ・ブーツを売る店であり、修理もしてくれたのだ。もちろん、今もある「ジャスティン」の前身である。
1880年代に入って、カウボーイ・ブーツの踵が高くなる。これは鐙に靴を入れた時、踵がストッパーの役を果たしてくれたからだ。
1890年代になって、今のカウボーイ・ブーツに見られるポインテッド・トゥがはじまる。言うまでもなく、ブーツを鐙に入れるのに好都合だったからである。
1900年頃、「トゥ・クリンクル」がはじまる。トゥ・クリンクルとはカウボーイ・ブーツに特徴的な、甲へのステッチのことである。これは甲に皺みなるのを防いでくれる効果ああった。
1903年の「C・T・ハイヤー」のカタログ上に、トゥ・クリンクルをあしらったカウボーイ・ブーツが出ている。カウボーイ・ブーツの通信販売は、1880年代からすでにはじまっていたのである。
このトゥ・クリンクルがさらに発展して、フラワー・デザインになるのは、1915年頃のことだと考えらている。カウボーイ・ブーツのレッグに、鮮やかな配色のインレイ(差し込み柄 ) が登場するのは、1920年頃のことである。
「そしてフリンジのついたセーム革のスカートと、膝まで届くカウボーイ・ブーツをはいていた。」
トルーマン・カポーティ著大澤 薫訳『草の竪琴』の一文。これは、シスター・アイダという女性の姿。これほど美しい靴を男性専用にしておくには、あまりに惜しい。