英国がキャパを救った話なんですが。もちろん写真家の、ロバート・キャパのことです。
1942年の夏。ロバート・キャパはNYにいた。この時、『コリャーズ』誌から取材依頼がくるんですね。千五百ドルの小切手が添えられて。
でもこの時のキャパ、絶対絶命。禁足令が出ている上に、パスポート無し。で、キャパはどうしたのか。
千五百ドルを現金に替えて、ワシントンに。ワシントンの英国大使館に。英国大使館の情報官に会って、すべての事情を話す。話しているうちに、ランチの時間に。で、キャパは初対面の情報官をカールトン・ホテルへ誘う。
カールトン・ホテルのダイニングで、豪華ランチをともにする。とにかくモンラッシェの1921年物を二本開けたんだとか。
昼食後、ふたたび大使館に戻る。担当者はキャパを前に、何本かの電話をかける。その結果、特例として、旅券が発行されることに。いや、特例の特例として。これでキャパは取材に出ることができたんだそうです。
キャパの自伝ともいえる『ちょっとピンぼけ』に出ている話なんですが。
キャパが日本に来たのは、昭和二十九年四月十五日。この時、キャパに同行したのが、金沢秀憲。当時、『カメラ毎日』の副編集長だった人物。
キャパと金沢は日本各地を旅しています。ある時、大阪へ。仕事の後、キャバレーに案内。金沢は気を効かせて、英語のできる女性を指名する。
と、キャパはこの英国のできる女性に、ぞっこん。「ミスタ・カナザワ、私この人とおつきあいしたい。先に、宿に帰ってくれませんか」。
それから何日かが経って。大阪の英国のできる女性から、『カメラ毎日』気付の、キャパに宛てた手紙が。その中には。
「もし日本にいらっしゃる折にはご連絡ください。あの時、貴方が好きと言ってくださった浴衣と帯、差し上げたいと存じますので……」。
キャパも好きだった浴衣、もっと世界に拡がっても良いかも知れませんね。少なくとも英国への土産にも最適でしょう。