ビゼーとベレー

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ビゼーは、フランスの作曲家ですよね。
ジョルジュ・ビゼーは、1838年10月25日 パリの近くで生まれています。
古今東西、作曲家、音楽家には天才を謳われる人が多い。そして、ビゼーもまたそのひとりなんですね。
幼いころから記憶力に優れていて。パリ音楽院に入ったのが、1848年のこと。この時、ビゼーは九つ。九つで、グノーの教えを受けたという。
1857年に、「ローマ大賞」を受ける。これによって、ローマに留学しています。十八歳のこと。あの美しい『真珠採り』を作曲したのが、二十四歳。1862年。
今、ビゼーの代表作とされるのは、『カルメン』でしょうね。『カルメン』が完成したのは、1875年のことです。同じ年の3月3日に、初演。パリの「オペラ・コミック」で。ただこの時には、賛否両論があったという。
1875年10月23日。ウイーンの「宮廷劇場」で公演。この時の『カルメン』が、大好評。ビゼーの『カルメン』が有名になったので、原作の『カルメン』も、再評価されることに。原作の『カルメン』とは、メリメの書いた小説ですね。
プロスペル・メリメは1803年、パリ生まれ。メリメは旅することが好きだった作家でもあります。
1830年6月27日。スタンダールと一緒に、スペインに旅立っています。これをはじめとして、メリメは何回かスペインに旅しています。
メリメはスペイン、マドリッドで偶然に、モンチホ伯爵夫人と知り合う。そしてモンチホ伯爵夫人が語ってくれた物語のなかに、昔の大盗賊の話があった。この大盗賊こそ、ドン・ホセのモデルなんだそうですね。
余談ですが。モンチホ伯爵夫人には、美しいお嬢様がいて。このお嬢様が後に嫁ぐのが、ナポレオン三世。つまりウージェニ王妃なんです。当時、ウージェニ王妃がモードをつくったのは、よく知られているところでしょう。
メリメの原作『カルメン』の中に。

「わたしたちの国の、青い小粋なベレー帽をちょいと横っちょにかぶり……」

これはもちろん、カルメンの科白。これはたぶんバスク・ベレーのことでしょう。ドン・ホセの本名は、ドン・ホセ・リッザラベンゴアで、バスク人だと説明されています。
さて、なにかベレーをかぶって。ビゼーの古いレコードを探しに行くとしましょうか。

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