「幸い」という言葉が、最期になった文士がいるんだそうですね。それは、佐藤春夫。
佐藤春夫は、和歌山、新宮のお生まれ。詩人でもあり、小説家でもあり。慶應大学在学中から、作詩にふけっていたという。
佐藤春夫が世を去ったのは、昭和三十九年のこと。七十二歳。
昭和三十九年、五月六日、午後六時十五分。佐藤春夫は自宅の書斎で、ラジオ放送のための「自叙伝」を録音中。その録音中に、突然、心筋梗塞に。
その時の言葉が、「私は幸いにして……」だったそうです。後で、このことを知った、武者小路実篤は、「立派な死に方だ……」と言ったという。
大正のはじめ、佐藤春夫は黒いビロードの服を新調したことがある。これは、小山内薫の影響だったそうですね。
ちょうどその頃の小山内薫は洋行帰りで、ブラック・ヴェルヴェットのスーツで闊歩していたそうですから。
小山内薫はハイカラな人でもあって。明治四十四年。銀座に「カフェー・プランタン」ができた時。フランス語で「春」と名づけたのは、小山内薫その人だったそうですね。
佐藤春夫の書いたミステリに。もちろんその時代に「ミステリ」の言葉は使わなかったでしょうが。佐藤春夫が探偵小説を書いているのは、ほんとうです。
佐藤春夫著『維納の殺人容疑者』。これは昭和二年の、『改造』に発表されています。この中に。
「黒っぽい英吉利風の背広を着て地味な襟飾を締めて居る。エナメルの半靴を穿いている。申し分ない服装だ。」
もちろんこの物語の背景は、当時のウイーンにおかれているのですが。
「半靴」とは、今でいうアンクル・ブーツのようなものでしょうか。
さて。なにかエナメルの靴を履いて。「幸い」を探しに行くとしましょうか。