パンとバスク・シャツ

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パンは、いつ、どんなふうに食べても美味しいものですね。
ところで日本でのパン、いつ頃からあったのか。今からざっと四百年前に、パンがあった。ウソかマコトか。マコトなんですね。
元亀二年( 1571年』) の三月。大村純忠が、長崎港を開く。これによって、ポルトガル人がやって来る。ポルトガル人にとってどうしても必要だったのが、ホスティア。聖パンですね。キリスト教での儀式に使う、聖パン。
その頃、長崎の町にはポルトガル人経営のパン屋があったという。
「夕刻、奉行平右衛門殿が家臣を宿に遣わして白パン二十個を贈られた。」
これはヤン・ファン・エルセラックの日記の一部。日付は、1641年12月26日になっています。平右衛門は、柘植平右衛門のこと。当時、長崎奉行だった人物。つまり、平右衛門の屋敷では、パンを焼く技法を知っていたのでしょう。「白パン二十個」、どんなパンだったんでしょうね。
食パンなら、バターにマーマレードでしょうが。食パンは塊で買うと、切るのにちょっと苦労したり。

「胸のポケットからのぞいているハンカチは、パンでも切れそうなくらい、きちんとたたんである。」

レイモンド・チャンドラー著『湖中の女』には、そんなふうに出ています。もちろん、私立探偵のフィリップ・マーロウから眺めての様子。刊行は、1944年のこと。また、こんな描写も。

「スラックスやショーツ、それにフランスの水兵が着ているようなジャージーのブラウスを着たり……」。

これはマーロウが車を走らせている、外の景色に。「フランスの水兵が……」。あるいは、バスク・シャツでしょうか。
それはともかく。バスク・シャツを着て、美味しいパンを買いに行きましょうか。

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