シグナルとシャポオ・メロン

シグナルは、信号のことですよね。
signal と書いて「シグナル」と訓みます。
街に出ると、交通信号がありますね。青は進め、赤は止まれ。これで人も車も安全に道を歩くことができるわけです。
今のような交通信号のはじまりは、昭和五年という説があります。東京、日比谷の交差点で。
アメリカの「レイノルズ」社の信号機が設置されたという。昭和五年三月二十三日に。
それよりも前には、「信号人」が立っていたんだそうですね。
たとえば大正八年には、銀座四丁目の角に、信号人がいまして。「挙手の合図」をした。この合図に従って、進んだり、止まったり。

「青い樹立から見ゆる白い標柱。」

明治二十七年に、生田葵山が発表した小説『和蘭皿』に、そのような一節が出てきます。
生田葵山は、「標柱」と書いて、「しぐなる」のルビを添えているのですが。
これは当時の千駄ヶ谷辺りでの眺めとして。それはともかく、小説にあらわれる「シグナル」としてはかなりはやい例ではないでしょうか。

夕汽車の 遠音もしづみ 信号柱のちさき燈 淡々とみどりうるむ

北原白秋が、明治三十九年に詠んだ『邪宗門』に、そのような詩が出ています。
北原白秋は、「信号柱」と書いて、「シグナル」のルビをふっています。
当時は「夕汽車」の言葉があったのでしょうか。

「そのとき汽車はだんだんしづかになつて、いくつかのシグナルとてんてつ器の灯を過ぎ、小さな停車場にとまりました。」

宮澤賢治が、大正十五年頃に書いた『銀河鉄道の夜』に、そのような文章が出てきます。
『銀河鉄道の夜』は、宮澤賢治の代表作とも言えるでしょう。宮澤賢治三十歳くらいの時の幻想小説ですね。
宮澤賢治が『春と修羅』を発表したのは、大正十三年のこと。『春と修羅』は、千部の印刷だったという。宮澤賢治は友人たちに配ったりしたそうです。
大正十三年は、西暦の1924年のこと。
1924年に小説『ピエール・ランペドゥーズ』を書いたのが、アンリ・ボスコ。フランスの作家であります。
アンリ・ボスコはそれ以前は詩人で、これ以降、小説に力をいれるようになっています。
アンリ・ボスコが1950年に発表した代表作に『骨董商』があります。長篇。アンリ・ボスコの代表作。この中に。

「首から上だけ、白いあごひげ、青い眼、そして山高帽を、奇妙なぐあいに、目深に被っている。」

これは主人公が見かけた男の姿として。
「山高帽」。フランスなら、「シャポオ・メロン」
chapeau melon でしょうか。
クラウンの丸い形がメロンに似ているので。
山高帽は、日本語。イギリス英語では、「ボウラー」。これは実際にそれを作った工場の名前。
アメリカ英語では、「ダービー」。これ当時、競馬場にふさわしい帽子だと考えられていたので。
どなたか街歩き用のシャポオ・メロンを作って頂けませんでしょうか。