アッシェとエナメル

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アッシェという町があるんだそうですね。
アッシェ Asch はボヘミアとザクセンとの国境近くにある、小さな町。この小さな町、アッシェから生まれた曲が、シューマンの『謝肉祭』。
1834年頃、シューマンはエルネスティネという少女に会って、ほのかな恋心を。このエルネスティネは、アッシェからライプツィヒにやって来たのでした。そこでシューマンは、Asch を分解して、四音に変換して、『謝肉祭』を作ったという。
シューマンは『謝肉祭』だけでなく、地名や人名を分解、変換して、作曲することがあったようです。つまり文学的な作曲家でもあったのでしょう。
シューマンのお父さんは本屋で、本屋のかたわら、著作をも得意だったという。シューマンもこの影響から、はじめは小説家志望でもあったようです。
シューマンの『交響曲第四番ニ短調』が初演されたのが、1841年12月6日のこと。ライプツィヒの「ゲバントハウス」で。
1841年のパリで書きはじめられたのが、『モンテ・クリスト伯』。もちろん、アレクサンドル・デュマ・ペールの長編。この中に。

「黒ズボン、エナメル靴、白チョッキ、黒か青のイヴニング、長ネクタイではどうでしょう。」

これは、モンテ・クリスト伯の科白。富豪のアンドレアに、服装の指示をしている場面。この言葉に続けて。

「あなたのようなお金持は、厭味のない服装のほうが、それだけかえってひき立ちます。」

とも、付け加えています。なるほど。
エナメルの靴で。アッシェを訪ねるのは、夢ですが。

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