ガリバルディとエポーレット

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ガリバルディはイタリア統一の英雄ですよね。
ジュセッペ・ガリバルディ。イタリアの町を歩くと、ジュセッペ・ガリバルディの銅像が建っています。また、ジュセッペ・ガリバルディに因んだ地名なども少なくありません。
革命児、ガリバルディ。でも、ガリバルディはいつも連戦連勝していたわけではない。むしろ苦難の連続。
1850年にはアメリカ、NYに逃れて。知人の工場で、蠟燭を作ったことも。しかし、「我われがどこにいようと、我われが闘う限りローマは永遠だ」の信念だけは、忘れたことがなかったそうです。
ジュセッペ・ガリバルディはまた何度か目に帰国を果たして。田畑を耕しながら、機会を待つ。その時が来たのが、1860年。ガリバルディはボランティアを募って、立つ。最初、千人だったので、「赤シャツ千人隊」。
この時にはまさに連戦連勝。イタリアを平定して、エマニュエル国王に献上。この時。ガリバルディは一切の肩書、名誉をすべて辞退。田舎でひっそりと余生を過ごした。
「エメラルド色の海が見える場所に移してくれ」
これがガリバルディの最期の言葉だったと。
1860年は、日本ではじめて、遣米使節が派遣された年。万延元年のこと。
この遣米使節に同行したのが、村垣淡路守。村垣淡路守は詳細な『航海日記』を遺しています。この中に。

「武官はイポリットを付け、袖に金筋……」

もちろんワシントンで会った高官の姿。「イポリット」には説明があって。
「金にて作りたる総の如きもの、両肩につけて、官の高下に寄りて長短あるなり」
イポリット。たぶん、エポーレットのことでしょう。
さて、肩章のあるシャツを着て。ガリバルディの伝記を探しに行くとしましょうか。

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