アステアが結婚したのは、1933年のことなんだそうですね。
フレッド・アステア、三十三歳の時。新婦は、フィリス・リヴィングストン・ベイカー、二十五歳。1933年7月13日のこと。
アステアがフィリスとはじめて会ったのは、1932年の夏。グレアム・フェア・ヴァンダービルド夫人の、ガーデン・パーティーで。
アステアは当時、人気絶頂。でも、フィリスはアステアのことを知らなかった。あまりにも上流階級の人だったので。「フレッド・アステアです……」と自己紹介を。と、フィリスは。
「フウェッドさんね……」
「r」の発音があまりにも上品なので、「フウェッド」になってしまう。アステアは、フィリスに会うまで、一度も結婚なんて考えていなかった。
「フウェッド」のひと言に魅せられたんでしょう。
1933年の結婚式の日。フウェッド・アステアは、ダーク・ブルーのスリーピース・スーツであったという。フィリスとフウェッドの結婚は、フィリスの死まで、長く続き、アステアも再婚を考えることもなかったらしい。
フレッド・アステアの『バンド・ワゴン』が初演されたのは、1931年6月3日。NYの「ニューアムステルダム劇場」で。『バンド・ワゴンは、夏の間にも公演が続けられた。冷房装置ははじめて備えられていたから。もうひとつの、はじめては。1931年の『バンド・ワゴン』で、ミュージカルとしては、最初の回り舞台が用いられています。
1931年に生まれた作家に、常盤新平が。常盤新平の随筆に『ぽっくり』があります。1996年の発表。この中に。
「夏が来ていて、それでも老人は長袖のシャツに薄手の白い麻のジャケットを着ていた。」
これは常盤新平が街の喫茶店で、偶然顔見知りに会う場面なんですね。
さて、白麻を着て。アステアのレコードを探しに行くとしましょうか。