少女とシューズ

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少女を描いた画家に、パスキンがいますよね。
たとえば、『白いリボンの少女』。パスキンが、1925年に描いた傑作。パスキンの代表作とも言えるでしょう。
パスキンは、ブルガリアのお生まれなんだそうですね。ブルガリアの、ヴィディンで。1885年3月31日の生まれ。本名は、ユリウス・モルデカイ・ピンカス。
「パスキン」の名前を用いるようになったのは、1904年頃のことなんだそうです。これはPincasを入れ換えて、Pascin にしてのこと。
パスキンがパリに出るのは、1905年。それも12月24日のことだったそうですから、憶えやすいですね。
ジュール・パスキンの身長、170㎝だったと記録されています。髪は、黒。眼は、ブラウン。唇は、少女のよう。これはパスポートに書かれていることなんですが。
1920年代のパリ。夜になるといつも、黒いパスキンの姿が見られた。パスキンは黒の山高帽、黒いギャバジンのコート、黒の靴下に至るまで、黒の服装を好んだから。

「パスキンはユトリロと並んで奇人であったが、パリ一流の画家でもあった。」

これは友人でもあった藤田嗣治の言葉。パスキンが出てくる小説に、『海流のなかの島々』があります。もちろん、ヘミングウェイ。

「パスキンさんと僕とは良いお友達だったの?」
すこぶる。お前を『怪物君』と呼んでいたな。

これは画家である主人公、ハドソンが息子に、パリの昔話をしている場面。また、こんな描写もあります。

「今度は白いシャツ、白い綿のズボンにバスケット・シューズのいでたちである。」

これはある実業家の、船上での着こなし。バスケット・シューズ。いいですねえ。
バスケット・シューズを履いて。パスキンの少女を観に行くとしましょうか。

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