ニューヨーカーは、伝説的な雑誌ですよね。『ニューヨーカー』自体も伝説的なら、編集長のハロルド・ロスも伝説に包まれた人でした。
『ニューヨーカー』の創刊は、1925年2月17日のこと。ただし、2月21日号として。ごく単純に言って『ニューヨーカー』は、ニューヨークに住む人のための粋な読物だったのです。それが後に「もっとも都会的な雑誌」と呼ばれるまでに、それほど時間がかかったわけではありません。編集長のハロルド・ロスが徹底的に吟味を重ねたから。
『ニューヨーカー』はパンからはじまった。そうもいえるでしょう。『ニューヨーカー』以前のハロルド・ロスは、『ジャッジ』という雑誌にかかわっていた。さらにその前は、『スターズ・アンド・ストライプス』の編集者であったことも。でも、ハロルド・ロスはなんとか洒落た雑誌を出したいと、考えていた。
ある土曜日の夜。アルゴンクィン・ホテルで、ポーカーがあった。というよりもハロルド・ロスはたいていの週末、アルゴンクィン・ホテルでポーカーをすることになっていたのですが。そのポーカーのテーブルでたまたま会ったのが、ラオール・フレイシュマン。フレイシュマンはブロードウェイの成功したパン屋の二代目。
ロスは新雑誌のための出資を、フレイシュマンに依頼。2万5千ドルを。1924年の2万5千ドルが今のどれくらいか知りませんが。とにかくフレイシュマンは出資を承諾して、『ニューヨーカー』が船出することになったのです。
少し話は飛びますが。1963年の『ニューヨーカー』は、50万部を超え、広告ページにして年間六千ページ。売上は、2,100万ドルを超えたという。この頃、ジェイムズ・ボールドウィンは『ニューヨーカー』に寄稿して、12,000ドルの原稿料を受け取っています。「伝説のニューヨーカー」というのも、どうも本当のようですね。
1950年『ニューヨーカー』5月13日号に掲載されたのが、『ヘミングウェイの横顔 ー 「さあ、皆さんのご意見はいかがですか?」』これを書いたのが、リリアン・ロス。この中に。
「グレーのフランネルのズボン、アーガイル柄の靴下にローファーという格好だった。」
もちろん、ヘミングウェイの着こなしなんですね。リリアン・ロスはヘミングウェイの友人でもありましたから、たぶんアーネストの実像でもあるのでしょう。
アーガイル・ソックスを履いて。古い、昔の『ニューヨーカー』を探しに行くとしましょうか。