ブランクーシと靴下

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ブランクーシは、前衛彫刻家ですよね。
コンスタンティン・ブランクーシは、ルーマニアで生まれ、パリで活躍した抽象彫刻を得意とした作家。ブランクーシはロダンの弟子で、ロダンの具象に対して、抽象に生き方を発見したアーティスト。
ブランクーシのNY展が開かれたのが、1926年11月。マンハッタンの「ブルマー画廊」で。このNY展を偶然に観たのが、イサム・ノグチ。11月17日。イサム・ノグチの、二十二回目の誕生日に。
イサム・ノグチはブランクーシ展を観て、閃いた。「ブランクーシこそ、わが師となるべき人だ」と。で、イサム・ノグチは、パリへ。1927年のことです。
ブランクーシのアトリエは、「カフェ・ド・フロール」からそれほど遠くはなかった。インパセ・ロンシン8番地に。そのアトリエはただ白く、ただ広い部屋。イサム・ノグチは英語で、「弟子にして欲しい」。
ブランクーシはフランス語で、「私は弟子をとらない主義である」と。その頃のイサム・ノグチはフランス語を解しなかった。ブランクーシは英語を解しなかった。結局、会話が成り立たないまま、弟子になることに。イサムはすでに彫刻に長けていたから、ブランクーシとしても、便利だった。
この時、イサム・ノグチの住まいとアトリエを紹介したのが、藤田嗣治なんだそうですね。パリでは多くのアーティストと友だちになっています。そのひとりに、やはり前衛彫刻家の、カルダーが。カルダーは愉快な人柄で。

「カルダーはいつもお気に入りの赤い靴下をはいて、自転車でやってきた。そして、上着の一方のポケットからチーズを、他方からはワインをユーモアたっぷりに取り出してみせた。」

ドウス昌代著『イサム・ノグチ』には、そのように出ています。
1927年のパリの赤い靴下。いいですねえ。
なにか好みの色の靴下を履いて。ブランクーシの作品集を探しに行くとしましょうか。

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