スパッツ(spats)

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今、スパッツを愛用している男がいたとしたら、よほどの変わり者か洒落者であろう。スパッツとは何か、と問われたなら、「足許の脚絆」と答えよう。少なくとも足首を包む小道具であることには間違いない。
スパッツの全盛期は、1920年代のことであっただろう。1920年代の洒落者で、スパッツに無関心である人間はひとりとしていなかったはずである。
手にはケイン(ステッキ)、ボタン・ホールにはブートニエール、そして足許にスパッツを付けてこそのダンディであった。その意味ではこれらの品々は、洒落者にとっての三種神器で
あったかも知れない。
スパッツ spats の原型は、スパット spat 。片方だけでは用をなさないので、複数形の「スパッツ」になるわけだ。
スパッツの前には、「スパッターダッシーズ」spatterdashes というのがあった。これが後に省略されて、スパッツになったのである。
スパッターダッシーズは1670年代に登場しているという。これはごくふつうの革製の脚絆であった。脚絆はいうまでもなく、脚への防具である。スパッターダッシーズとしては、1736年刊の『ベイリーズ・ディクショナリ』にも出てくる。
「スパッターダッシーズとは、底のない、軽いブーツに似ている。」
ネイサン・ベイリーは、イギリスの辞書編纂者である。「底の無いブーツ」に似ているというのだから、脚全体を包むスタイルであったのだろう。では、どういう人たちがスパッターダッシーズを使ったのか。主に、軍人。スパッターダッシーズは軍装品のひとつでもあったのだ。
このスパッターダッシーズが十九世紀に入ってゆっくりと一般市民によって使われるようになる。と同時に、軽便な、短いスパッターダッシーズがあらわれる。それが後のスパッツの原型なのだ。
スコットランドの詩人、ジェイムズ・ホッグの書いた本の中に。
「黒いスパッツ、ナロウ・ブリムのハット、彼は完璧な服装をしている。」
という文章が出てくる。ここではすでに「スパッツ」として使われている。ただし「黒」とあるところから想像して、革製であったもだろう。つまり、スパッツは革製からやがて布製へと変化したのに違いない。
さて、スパッツがほぼ今のようなスタイルになるのは、1860年代のことである。1860年代のスパッツは多く、トラウザーズと共地で作られた、要するに、最新の、トラウザーズへのアクセサリーであったのだろう。もちろんロンドンの街を歩く紳士によっても使われた。
スパッツがさらに流行になるのが、1870年代。たいていはモーニング・コートの足許に組み合わせたのである。スパッツの色はライト・グレイをはじめ、淡い色を合わせるのが、粋とされた。たとえば、ファーン fawn。ファーンは、「仔鹿色」のこと。イエローを帯びたベージュといえば、やや近いだろうか。
もちろん白もスパッツもあった。それらはフェルトなどのしっかりとした布製で、革の裏を付けることもあった。左右の脇には四個ほどのボタンが付き、靴底に通して留めるためのストラップが添えられていた。
モーニング・コートのみならず、フロック・コートの足許にも着けられるようになるもは、1893年の頃からであるという。つまりスパッツはやや「出世」したわけである。
1923年のチェルシー・フラワー・ショウに出席したジョージ五世は、グレイ・トッパーに合わせて、ライト・グレイのスパッツ姿であったという。
それより前、1922年にP・G・ウッドハウスが書いた『同士ビンゴ』には、藤色のスパッツが登場している。
著者、ウッドハウス自身もまた、スパッツの愛用者であったろうと思われる。

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