フィアットとパナマ

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フィアットはイタリアの自動車ですよね。FIATは名前も可愛いし、形も可愛い。
「ファブリカ・イタリナーナ・オートモービリ・トリノ」。この頭文字から、「フィアット」になったという。
フィアットから思い出しお方に、アニエッリがいます。イタリアの実業家にして、伝説的な洒落者であった人物。ジュアンニ・アニエッリ。イタリア人としては二十世紀最高のダンディでありました。
えーと、自動車の話でしたね。1936年に、フィアットは「500」を発表。それがとても洒落ているので、ついたあだ名が「トロリーノ」。「カワイイねずみ」。これがまた、売れに売れるんですね。たしか1938年のアメリカでの輸入車としては、記録的な売り上げとなっています。
1957年になって、「ヌーヴォー500」が。「フィアット500」を愛用していたひとりに、須賀敦子がいます。

「朝パオラの電話でおこされる。Fiat の自動車が出来ているとのこと。あわててお風呂へ入り、雨の中を銀行に行って50万をひきだし………」。

これは須賀敦子の、1971年1月19日 (火) の日記の一部なんですね。フィアットは須賀敦子が自分で買ったはじめての愛車。色は濃いブルーだったそうです。濃いブルーのフィアットは「須賀敦子版」でしょうか。
『須賀敦子日記』には、ピーナから映画に誘われる話も出てきます。1971年3月6日 ( 土 ) 。その映画が、『ベニスに死す』。もちろん、ルキノ・ヴィスコンティ。須賀敦子は8時に、「アストール」という映画館に。でも、すでに満員で入れなかったそうですが。
須賀敦子が『ベニスに死す』にどんな感想を抱いたのか、大いに気になるところです。劇中の、グスタフ・アッシェンバッハに扮するダーク・ボガートの演技について。
『ベニスに死す』の中で、アッシェンバッハがパナマ帽を被る場面があります。あのパナマ・ハットは、被り方の教則本でありましょう。

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