ティーは紅茶のことですよね。「ブラック・ティー」ともいうんだそうですが。
これが「グリーン・ティー」なら、日本茶。「ミルク・ティー」は私の大好物。
もっとも古い時代にはティーの前には、「チャウ」 chaw と読んだ時代があるんだそうです。もちろん、英国で。
昔話をいたしますと。江戸時代、長崎の平戸に、ウイッカムという英国人がいて。マカオの東インド会社の社員、イートンに宛てた手紙が遺っています。
「最上等のチャウをひと壺お送り頂きたい。」
日付は、1615年6月27日になっています。
ここからも想像できるように。「チャウ」は一種の薬で、主に中国から英国に運ばれていたのでしょうね。
この薬ともなる紅茶を運んだのが、有名なティー・クリッパー。クリッパーは、「快速帆船」。速さを増すために、細長い船体。水切りのよい、尖った舳先。面積を広くした、数多くの帆。それが、ティー・クリッパーの特徴だったのですね。
数あるティー・クリッパーのなかでも有名なのが、「カティサーク」号。この「カティサーク」は、1885年に。シドニーからロンドンまでの間を、72日間で運んだ記録があるんだそうです。
カティサークが進水したのが、1869年11月22日。スコットランドの、ダンバートンで。「カティサーク」は、スコットランドの詩人、ロバート・バーンズの詩に出てくる魔女の名前を採ったもの。魔女、カティサークは足が速いことで知られていましたから。
「カティサーク」 cutty sark のもともとの意味は、「短いシャツ」。これは『タモシャンター』に出てくる魔女の着ている服装からきているんだとか。
クリッパーはクリッパーでも、1930年代の旅客機にも「クリッパー」の名前があったという。このクリッパーに想を得たミステリが、『飛行艇クリッパー』。ケン・フォレットが、1991年に発表した物語。この中に。
「ブルーのスーツはサビルローの店で十三ポンドであつらえたもので、しっくり体に合い、彼の目によくうつった。新しいシャツのソフト・カラーはいかにもアメリカ的だった。」
これは英国人の、ハリー・マークスの着こなし。時代背景は、1939年。これからアメリカへ行こうとしている場面。
1939年の英国では、「ソフト・カラー」が「新しい」襟であったことが分かるでしょう。
時にはハード・カラーのシャツで、ミルク・ティーを飲んでみたいものですね。