セント・ルイス・ブルースとタキシード

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

セント・ルイス・ブルースは、ジャズの古典ですよね。『セント・ルイス・ブルース』は、1914年の作なんだとか。
ウイリアム・クリストファー・ハーディーの作曲。これはまず詞への想いがあって、それに曲を添えた結果なんだそうですね。『セント・ルイス・ブルース』そのものは、テネシー州のメンフィスで生まれたんだそうです。でも、それがどうして『セント・ルイス・ブルース』になったのか。
ウイリアム・クリストファー・ハーディーは、その頃、セント・ルイスに居て。音楽の修業中。このセント・ルイスにいる時、女の嘆きを耳にして。男に冷たくされた女の嘆きを。

「あの人の心は海の底の岩のようで、私にはもう追うことさえもできない…………」。

そんな言葉が遺っていたので、詞が生まれて。
もっともハーディー自身は、1896年7月19日に結婚。偶然、バーベキューで出会った女性と。女性の名前は、エリザベス・プライスだったと伝えられています。エリザベスとっは仲良しだったそうです。子供も何人だか生まれています。
『セント・ルイス・ブルース』が出てくるミステリに、『ウインザー公掠奪』があります。1979年に、ハリー・パタースンが発表した物語。ハリー・パタースンは、実はジャック・ヒギンズの別名なんですね。これは第二次大戦中、ほんとうにあった話を基に創作されたストーリーになっています。

「コニーのトリオが強烈にビートをきかせた《 セント・ルイス・ブルース》の演奏に入った。」

これは1940年頃に、リスボンでの様子。「ガーデン・ルーム」というクラブでの光景なんですね。また、こんな描写も。

「五分ほどして姿を現したジャクソンは、白いタキシードに黒のタイをつけていた。「仕事着さ」と彼はハナに言った。」

なるほど。「仕事着さ」と思うようになれば、白いタキシードも少しは様になるんでしょうね。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone