ラーメンがお好きだってお一人に、辻 静雄がいるんだそうですね。大阪、阿倍野、「辻調理師専門学校」の校長であった人物。「辻」は、辶の上の点がひとつなんだそうですが、今、探せませんでした。辶の点がひとつの、辻 静雄のことです。
「辻調理師専門学校」の先生、松本秀夫氏が『辻 静雄』の中に書いている話なんですが。ある時、松本氏は辻校長に呼ばれて。
「東京へ行ってもらいたい。」
かいつまんで言うと、こういうことなんです。東京に行って、美味いラーメンを食べ歩きなさい。で、それを再現してもらいたい、と。一杯のラーメンに対する手順からして、違うんですね。
辻 静雄はある時、クラブ・タイを松本氏にあげようとした。それは松本氏の好みではなかったので、やんわりとお断わりした。それからだいぶ経って、またクラブ・タイを。それは松本氏の好きなネクタイであった、と。辻 静雄は松本氏の趣味を聞いていて、それを探したのでした。
辻 静雄の言葉に、「負け戦の名人になれ」があったという。料理人は他の料理人の皿を食べても、なかなか「負けた」とは思わない。が、優れた料理人は少しでも自分より勝る点があったなら、「負けた」と思う。思うから、さらに精進して上を目指す。それを、「負け戦の名人」と表現したわけです。何の世界でも、同じことかも知れませんね。
辻 静雄は1972年に、ポール・ボキューズを日本に招いています。マダム・ポアンも一緒に。その時の記念写真が、『辻 静雄』に載っています。富士山を背にした記念写真。それを見ると、ポール・ボキューズはデニムのGジャンを着ているのです。意外にも。Gジャンはまた、ウエスタン・ジャケットとも。下は、コオデュロイのズボン。
ポール・ボキューズもたぶん、「負け戦の名人」だったのでしょうね。
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