ハーレーとクレープ

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ハーレーで、バイクでといえば、ハーレーダヴィッドソンでしょうね。ハーレーダヴィッドソンのはじまりは、1903年頃のことなんだそうです。
1903年頃の名前は、「ミルウォーキー・マーケル・モーターサイクル」だったという。ウイリアム・S・ハーレーが、ミルウォーキーの納屋で作りはじめたので。設計自体は友人の、ジョセフ・マーケルだったから。また、ハーレーに大きく協力したのが、ダヴィッドソン兄弟だったのです。
彼らが1903年頃に作ろうとしたのは、「原動機付自転車」だったのです。とにかくミルウォーキーの丘を自力で登れる「自転車」が、夢だったのです。それがだんだんと改良されて、れっきとしたオートバイへと進化する。
1914年頃のハーレーダヴィッドソンは、「ザ・サイレント・グレイ・フェロウ」の名前で呼ばれたそうですね。
それはエンジンの音が静かで、車体がグレイだったから。この時代の「ザ・サイレント・グレイ・フェロウ」には、まだヘッドライトは付いていなかった。でも、なぜ、車体の色がグレイだったのか。それはスーツによく合う色だと考えてのことだったのです。
少なくとも1910年代までは、バイクにはスーツを着て乗るものとされた。シャツにタイを結び、スーツを着用して乗るのが、常識だったから。
その後もハーレーダヴィッドソンは進化を続けて、ますます有名に。1930年代にも日本で、現地生産されるように。これを担当したのが、薬の「三共」だったのですね。その後、現地生産の契約が切れたので、独自に生産を。この時、名前を一般公募。その結果が、「陸王」でありました。一説に慶應の校歌から想を得たとも。
♬ 陸の王者 慶應…………。
ここから、「陸王」。昔の「陸王」がハーレーダヴィッドソンに似ているのも、当然だったのですね。
1903年10月28日。ロンドンに生まれたのが、イーヴリン・ウォー。イーヴリン・ウォーの代表作に、『ブライヅヘッドふたたび』があります。吉田健一の翻訳では、『ブライヅヘッドふたたび』の表記になっています。この中に。

「薄い鼠色のフランネルの服に白い縮緬のワイシャツ、シャルヴェ製のネクタイ………」。

これはセバスチャンという校友の着こなし。この時代背景は、1920年代はじめ。場所は、オックスフォード大学。
「白い縮緬のワイシャツ」。ということは、クレープのシャツを着ているのでしょうね。1920年代のオックスフォード大学で、クレープのシャツを着ることもあったのでしょう。当然、ソフト・カラーのシャツかと思われるのですが。
うーん。時には、クレープのシャツも着てみたいものですね。

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