サンドとスタッド

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サンドで、作家でといえば、ジョルジュ・サンドですよ。ジョルジュ・サンドを語る時に忘れてなるないのが、ショパン。作曲家のフレデリック・ショパン。
はじめに、サンドをショパンに紹介したのは、ダグー伯爵夫人だったと伝えられています。ダグー伯爵夫人は、リストと仲良しだったお人なんだそうですね。
サンドはショパンに興味を持ったものの、ショパンが素知らぬ顔をしたので、あらためてダグー伯爵夫人に仲立ちをしてもらったのでしょう。ダグー伯爵夫人の、ショパンへの印象。
「牡蠣のような………」。
ショパンは自分のことを語るのに、慎重だったようです。だから、というわけでありませんが。今もってショパンの正確な誕生日は分かってはいません。ショパンは、牡蠣。牡蠣には白ワイン。
実はショパン、ワインと関係なきにあらず。ショパンのお父さんはニコラで。ニコラ・ショパンは1771年に、フランスに生まれています。フランス東部、ヴォージュ県のマランヴィルに。そしてフレデリック・ショパンのおじいさんは、葡萄栽培家だったという。でも、ニコラ・ショパンは16歳の時、単身、ポーランドへ。その理由もまた、よく分かってはいません。ショパンは謎の多い人物でもあるようでね。
ショパンをポーランド人とするかフランス人とするか。難しいところですが。
1838年に、サンドとショパンは、地中海のマヨルカ島へ。これはパリで、二人があまりに話題になりすぎたので。サンドとしては静かな所で、ショパンに作曲をさせたかったのでしょう。
1838年11月7日。バルセロナ港から、「エル・マヨルキン号」で、パルマ港に向っています。
マヨルカ島のパルマが舞台となるミステリに、『バンダースナッチ作戦』があります。デズモンド・ラウデンが、1978年に発表した物語。この中に。

「甲板の連中は美しい夜会服をまとっていた。宝石と白いシャツが灯りに輝いた。」

これはパルマでの、船上パーティーの様子なんですね。「白いシャツ」とは、たぶんイカ胸のことで。そこに宝石を鏤めたスタッドを挿しているんでしょうね。
ルビーかサファイアか、ダイヤモンドか。一度、宝石をあしらったスタッド、着けてみたいものですね。

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